情報提供とその対価(?)の歪み(?)的な何かについて
情報を提供する事自体にお金を発生させるのではなく、(情報をフリーで提供した上でその)情報の咀嚼を助ける(≒理解促進)行為にこそお金を発生させたら良いんじゃないかと思うのだが、どうだろう?
やっている事は結局似てはいるのだろうけれど、お金のせいで情報にアクセスできない例を減らしたり、情報が一部の特権的(?)階級に専有されているような印象を与えない為には知識にフリーでアクセスできる状況を作っておいた方が良いと思うんですよね……。
知識は誰のものなのか、何故フリーではないのか、そして知識からお金を発生させるにはどうしたら良いのか等と考えました。
情報提供者が収益を上げる必要性を認めつつ、情報が専有(?)されないようにするにはどうしたら良いかという話なのですが、それがどういう情報かという情報の性質にもよるのかもしれないですね。
公益性が高かったり、普遍性のある情報については独占•専有の度合い(?)を低めていく必要があるのではないかな等と思ったり。