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創元SF文庫「何かが道をやってくる」
レイ・ブラッドベリ 中村融訳

原題にある"Something Wicked"……何か邪悪なもの、というのは沙翁の「マクベス」からの引用。では、作中で移動遊園地と共にやってきたそれらは、その邪悪さで一体何をおびやかし、害をなすのか?
善良な心、人の世の善なるもの、教会での真摯な祈り。
そういうものを冒涜し腐してしまうのが、邪悪なカーニヴァルだった。

ブラッドベリは幼少期から、遊園地や道化師がもたらすイメージを恐れつつ、心の一部を囚われてきた。怪しげな存在に翻弄される2人の少年・ジムとウィルはある意味で著者の分身ともいえる。
そして、高齢で結婚して息子をもうけたウィルの父、チャールズも……。
なんとなく「父の役割」「母の役割」が分割されているふしのある言い回しは古めかしいが、それを補って余りある魅力があった(私が遊園地モチーフを好んでいるからというのもある)

ぐっとくるのは、さりげなくだがしっかりと描かれている図書館や書物への信頼。
そして、恐ろしい〈塵の魔女〉を前にしながら「きさまは滑稽だ!」と笑い飛ばす強さ。

「人生とはつまるところ途方もない大きさの悪戯」だと彼は思う。それは決して投げやりな諦念ではなく、窮地から彼を救う。

本日「批評誌Silence Vol.2 病とともに。」をお手に取ってくださった方々、誠にありがとうございました。
ぜひお楽しみください📚

また特に告知していなかったのですが、別サークルの「
大阪大学感傷マゾ研究会」さんが今日の文フリで販売されていた既刊(新刊ではないです!)の「青春ヘラ Ver.6 情緒終末旅行」にも私は紀行文というか、がらんとした街をぶらぶら歩くエッセイのようなもの、を寄稿しております。
この千野って人、名前が同じだけど同一人物? と思われた方がいらっしゃいましたら、そうです~ということで……。

「情緒終末旅行」は紙版・電子版ともにまだ通販での取り扱いがあるようでしたので、もしも『キラキラしていない旅行記』がお好きな方、いましたら。
【通常版】青春ヘラ ver.6「情緒終末旅行」
kansyomazo.booth.pm/items/4477 [参照]

今日は会社にいましたが、なぜだか非常に忙しく……🗿

退勤を渇望しながら「こんなんじゃ疲労で脳みそ枯れてシワシワになっちゃうよ~」と思い、その直後に「ウーン脳みそってどちらかというとシワシワの状態が普通、じゃない?」などと考え直すなど、知能指数や処理能力がだだ下がりの半日でしたー

帰宅したのでこれからのんびりタイム!

千野 さんがブースト

参加のお知らせ
2023年9月10日㈰ ブース:K-53

マツさん()のサークルから発行される批評誌『Silence vol.2』に、「記憶 -病と病院、本にまつわる六つの章-」というタイトルのエッセイを寄稿しました。
添付画像や下記URLより冒頭部分を読むことができます。

総勢12名が今回のテーマ「病いとともに。」を各々の視点から考察した1冊。
に足を運ぶ予定のある方々、内容にご興味を持ってくださった方々、当日は何卒よろしくお願いいたします📚


chinorandom.com/entry/2023/08/

小川洋子の短編集
「薬指の標本」と「海」を読んでいた。

2冊のどちらもいくつかの話に(「薬指の標本」表題作では特に印象に残る存在として)『サイダー』『ソーダ』など炭酸水が登場し、これがなんともいえず、作者の書くものの色に合っているのではないかと私は思わずにいられなかった。

炭酸飲料は性質からして官能的な気がする。

こう表現すると、いたずらに性的な感覚を強調しているかのように響いてしまい煩わしいけれど、複数ある辞書上の意味での「感覚器官の働き」の方を想定している……と思ってほしい。
サイダー類の液体がたとえば、あの大小の泡で上唇や口内、舌の先や表面、歯茎、喉をぷつぷつ刺激する感覚や、栓を開けた瞬間の独特の香り、さらにしばらく時間が経って半ば気が抜けた後のごく淡い風味も、甘さも味のなさも、すべてが身体的な神経に作用する。

「海」に収録されたインタビューでは『官能は私の最も苦手とする分野なので』と著者自身が言及していたのを、実に興味深く咀嚼していた。
読み手や作中の語り手が逃げる余地をさりげなく奪い、じわじわと確実に感覚器官に訴えてくるような部分がある、という意味で、この人の作品のいくつかが官能の極致だなーと思う時が私にはあるので。

触発されて、サイダーを飲んだ。

合同誌の現物が手元に届きました!
書いたものが紙の上に印刷されているのを見ると……毎度、新鮮に感動する……。

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糸魚川駅周辺では「中途半端な時間でも開いている飲食店」を探すのが本当に本っ当に至難の業(どこもだいたいお昼営業は13時半ラストオーダー、また、以降の夜営業だと17時半からとか)で……。

遅めのお昼・おやつを食べたくなる頃にぽっかり出現した「無」の時間、ずっと地面に寝転がって過ごそうかと考えていたところ、開店していた定食屋さんと喫茶店がわずか1件ずつあって助けられた。
こちらは喫茶店の方。

自家焙煎《樵Café》

2段に分かれたカフェ・シェケラートという飲み物の上段を構成する泡、これは牛乳ではなくて、コーヒーを泡立てて作ったものだというから面白いと思った。1時間くらい放っておいても消えず、泡のままらしい。
液体部分と同じ銘柄のコーヒーが泡となって重なっており、さらにグラスの中ほどに浮かんでいる氷も、同じものでできている。コーヒーづくし。

いくつかデザートがあるうち、トライフルが自家製だった。
個人的に「トライフル」といえば苺に馴染みがあって(イギリスでなぜか一時期そればっかり食べていた)キウイやバナナが器に盛られているのは新鮮な感じがし、でもこの生クリームとスポンジの素朴な味わいは組み合わさる果物の種類が違っても変わらないなと思う。

深みのあるキャラメルソースはコーヒーと合う☕

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この《オズの魔法使い》でわりと好きなのはゲイエレット姫なんですけど、どうしても「誰それ?」となりがちでちょっと残念

ゲイエレットは作中世界の北方、ギリキンの国に住んでいた賢く美しい姫君で、強い魔力を持っていた存在。
言及している人を見ないのが意外なくらいその重要度は高い。幾度となくドロシーを助けた黄金の帽子……それはもと、ゲイエレット姫の結婚相手であるクェララのために作られた帽子だったから。

ゲイエレット姫は誰からも愛されていながら、彼女自身が心から愛せる者を見つけられず、悲しく思う。
そこである日、人間クェララをルビーの宮殿に召し上げて、ありったけの魔法を彼にかけた。おかげで国中の誰より知恵があり、温厚な人柄で、容姿もすぐれた者として成長した彼を姫は深く愛する。

クェララが翼の生えたサル達にからかわれたと知ったとき、彼女が露わにした苛烈な怒り、それは他ならぬ自分が手塩にかけた「作品のような存在」を汚された憤り。
サル達は帽子の持ち主への隷属を命じられ、もう視界にも入れたくないとすら言われる。
彼女は魔法の力を人助けにしか使わないほど善良だったが、己の誇りを傷つける真似は絶対に許さなかったとみえる。

何らかの「激しさ」を持っているキャラが特に好きです(別にそうじゃないキャラも好きです)

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《オズの魔法使い》の作者であるライマン・フランク・ボーム。
彼はNYからアバディーンに引っ越して「大竜巻」のニュースに言及したり、家計のため「陶器」製品のセールスマンとして働いたりしたことなど、自分の経験を巧みに物語の中に取り込んできた。

なかでも印象的な「エメラルドの都(Emerald City)」、その主な着想源となった2つの要素について調べたら面白かった。

まず、1893年に開催されたシカゴ万博の展示物のひとつ、ホワイト・シティ(White City)。
これは、化粧石膏で表面を加工した白亜の壮麗な建物が並ぶエリアの名で、昼夜を問わず全面が太陽か電灯の光のもと眩く輝いていた。
いうなればエメラルド・シティの「色違い」だ。

そして、ドロシー達がそこで装着を義務づけられた、緑のメガネ。
ボームが執筆したコラム《Our Landlady》のとある回を参照すると、なんと緑のゴーグルなるものは実在していて、それは一人の農民が自分の馬にかけさせていたものだった。

どうやら当時、干ばつの影響で飼料の草が足りず、農民は緑色をしたレンズのゴーグルを馬に装着させることで「食べているものが緑の草だと思わせる」効果を狙っていたらしい……。


chinorandom.com/entry/2023/09/

カモの粘土ブローチ、あまりにもかわいい

最近足を運んだのは神奈川県の立石海岸と、燈明堂海岸。
それから今月、いきなり新潟県に飛んで糸魚川……日本海側へ。

「石ひろい」にハマりまくっている友達に連れられ、砂利浜に行っていた。波や他の岩石に研磨されてなめらかになった小ぶりな石がそれは沢山、海岸の一角に広がっている。
翡翠(ヒスイ)を産出する土地として名前の知れた場所だけれど、あまり関係なく、ただ岩石って面白いよねというのを肌で感じる試みだった……。

Kindle unlimitedで藤岡換太郎《三つの石で地球がわかる 岩石がひもとくこの星のなりたち》をダウンロードしたり、並行して西本昌司《観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑》を借りてめくったりしていたら、後者で花崗岩の説明に「一見、ゴマ塩おにぎりやサケフレーク入りおにぎりに見えるかもしれません。」とあって喜んだ。

ゴマ塩おにぎりみたいな石!
サケフレーク入りおにぎりみたいな石!

そういう例えが使われていると嬉しくなってしまう。
よもぎ餅や豆大福みたいな石、ハンバーグみたいな石も、ふりかけご飯みたいな石も大好き。

写真は友達が血眼になって魅力的な石探しをしている傍ら、私は体力が尽きたので岩を枕にすやすや眠り、ふわっと目を覚ましたらだんだん足元まで潮が満ちてきていた様子。

「砂糖」「綿花」「奴隷」の貿易で利益を手にしたのは商人やプランターたち。現地で砂糖を作る者たちが生んだ大金は、彼ら自身ではない者の懐に収まった。

一方、レンバタ島で20世紀末まで行われていたのは、当事者のため、今日と明日を生きるために必要な品々の交易。

しかしここも近年、暮らしの基盤は貨幣経済の影響下へと徐々に移行している。
特に現代的な漁法の変化で、船の燃料を確保するのに現金収入が必須だったり、さらにインドネシア政府が観光産業を振興しようとしていたりと、21世紀に入ってからの変化は大きい。

その上で面白いと思ったのは、『海の民』ラマレラの人々はもと移住民であり、先住民『山の民』以外との交易を島外で行ってこなかったのは「地域で立場を築くための戦略」でもあったのではないかとみなされているところ。
村の互助システムに組み込まれることで、周辺地域における安定した地位を得たとする見方。

……現代における「物々交換」について自分が知っている事柄は本当に少なく、一例として展示内で触れられていたレンバタ島の交易が、〈モガ〉というレートに基づいているのを興味深く見た。
この伝統的な価値基準の単位は「手盛り一杯」を意味する言葉だったそうで、例えば石炭や塩のひと掴み(約50g)が、1モガにあたる。

川北稔「砂糖の世界史」(岩波ジュニア文庫)を読んでいて。

世界市場で売れるもの、たったひとつの作物のみを生産するモノカルチャーの在り方が、大規模プランテーションを生み出した17世紀。
そこではあらゆる労働、土地、民族構成が従来の文化から引き離され、それだけのために回転するようになった……

特にカリブ海の島々(サトウキビ)が例として挙げられ、本来は「自分たちが食べるもの」を生産するはずであるところ、時には北米から食糧を輸入してまで「売り物」を作り続けなければならなかった。
しかも労働者の大半は、アフリカから強制的に連れてこられた奴隷たち。

これは所謂「三角貿易」によって支えられたものだったけれど、品物と品物、貨幣と品物を交換する行為が『生活』のためなのか、『利益そのもの』のために行われるかで、随分と様子が違う。

今春、墨田区「たばこと塩の博物館」で《レンバタ島のイカット(絣織り)》に関する展示を見たので尚更そう思った。

レンバタ島では『海の民』と『山の民』が採ったものを交換して、必需品を作り、さらにそれを交換する。
貨幣を得るのが主目的ではない、生活のための交易というのはこういう形態をとるのかと感じて展示を見ていた。
交易で生まれた布と、衣服。
近世における三角貿易とは対照的。

参加のお知らせ
2023年9月10日㈰ ブース:K-53

マツさん()のサークルから発行される批評誌『Silence vol.2』に、「記憶 -病と病院、本にまつわる六つの章-」というタイトルのエッセイを寄稿しました。
添付画像や下記URLより冒頭部分を読むことができます。

総勢12名が今回のテーマ「病いとともに。」を各々の視点から考察した1冊。
に足を運ぶ予定のある方々、内容にご興味を持ってくださった方々、当日は何卒よろしくお願いいたします📚


chinorandom.com/entry/2023/08/

今度は大垣駅から養老鉄道に乗り換えて、養老天命反転地へ。

いわゆる普通科ではない、美術系の専門コースがある高校に通っていたのだけれど、ここはその頃から造形概論の授業でも取り扱われていた施設でずーっと気になっていた。
来られてよかった。

美術家の荒川修作と、詩人マドリン・ギンズが共同で手掛けたかなり大規模なこの作品は、アスレチックみたいにも思える。
敷地のほとんどは斜面で構成されているといっても過言ではなく、動きやすい装備で挑むのは必須だが、一応運動靴も貸し出されていた。

私も高校時代の同級生も運動から遠ざかって久しく(これでも中学3年生までは運動部……だったんですけど……)叫んだり転がったり、たまに穴に嵌まったりしながら移動したのを思い出す。

日常生活で多く目にする机や椅子、ベッドなどの家具がその辺に散らばっていたり、謎の幾何学構造体に侵食されていたりした。まるで不条理な白昼夢か、幼い頃に頭で思い描いた世界に、うっかり迷い込んでしまったような気分。
周辺にソファが散らばった感じのオブジェは実際に《白昼の混乱地帯》と名付けられており、座面が地面と平行になっていないので、腰掛けた時の違和感が大きい。

見慣れた物品が当たり前の状態に設置されていない、不思議な感じを楽しんだ。

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「面白い場所がある」と誘い出されて、のこのこついて行ったら本当に変わった場所だった。

岐阜県、JR東海道本線の関ケ原駅から徒歩約20分……という何とも言えない立地、散歩は好きだし遠くの方に山も見えて快晴、気分も良かったのだけれど、目的の場所に入ってから圧倒されっぱなしだった。
施設名を「関ヶ原ウォーランド」というらしい。

中津川市出身のコンクリート作家・浅野祥雲が遺した、膨大な数の等身大人形が設置されている。
その数は二百を超えるという。
日本国内にはこの関ヶ原ウォーランド以外にも彼の作品を拝める場所が幾つかあり、ほとんどが、祥雲氏が30代の頃に移住した愛知県内に集中しているもよう。

ひとつひとつ手作りで造形と彩色の施された人形は、佇まいといい表情といい、実に言葉にしがたい印象を鑑賞者の胸に深く刻む。見開かれた眼、半開きの眼、あるいはぎゅっと引き結ばれた口元……。
合戦時のまま時の流れを止めたこの場所で、彼らは今日も戦い続けていた。

ちなみに、係の人に言えば甲冑や模擬刀、火縄銃などの装備や小道具を借りられて、実際に身につけたり持ち歩いたりしながら散策と写真撮影ができる。
都合が合えば館長じきじきに解説をしてくれる場合もあるそうだ。それも、ウォーランドの名物なんだとか。

"冷たく冷やしたガラスの器に、とれたてのハッカの葉をしきつめて、氷室の氷をけずって入れて、花の蜜で甘く甘く味をつけた薄緑色のハッカ水は、子どもの頃のサウードのお気に入りでした。
(中略)
いまのサウードが魔法で作り出したハッカ水は、その頃に飲んだものとまったく同じ味と気持ちの良さを、サウードののどと舌に残しました"

村山早紀「愛蔵版 下 (2019)」童心社 p.94 より

日中の暑さが酷だから、旅人たちは昼ではなくて、夕方と夜と朝のあいだに移動する。
「シェーラ姫の冒険」で描かれる砂漠の描写を読んでいると、自分が暮らしている場所の気温や湿度にも思いを馳せないわけにはいかない。8月は終わりそうなのに、残暑はまだ続く。
おはなしに出てくる冷たいハッカ水が飲みたい。

魔法使いサウードが幼少期に「氷室の氷をけずって入れた」ハッカ水を飲めたのは、当時、貴重かつ高価な氷を口にすることのできる身分であったから。
街の王宮にいながら冷たい飲み物や氷菓を味わえるのは、まさに特権の象徴。

ところで数年前、エジプトに足を運んだ際に飲んだミントティーは、アイスではなくてホットだった……。
あれはあれで、爽快感があっておいしかったのを思い出す。

の随筆
「硝子戸の中」に収録の(二)より

私が好きな漱石は大正4年、ニコニコ倶楽部という雑誌社からの取材を受けていた。
……とはいっても写真を1枚提供した程度のことだが、それがなんというべきか、結果的に「疑惑の1枚」となったわけで。

このニコニコ倶楽部は「ニコニコ主義」なるものを提唱していた雑誌社らしく、発行していた月刊雑誌の名前も、案の定『ニコニコ』という。カタカナ4文字だけを延々と眺めているとだんだん頭がイカれてくる。
漱石は実際、過去にその雑誌『ニコニコ』を手に取ったことはあったが、「わざとらしい笑顔の不快な印象が胸に刻まれていた」……と随筆では語っていた。

けっこう辛辣である。

気が進まないなら取材なんて断ってしまえばいいじゃん、と読者の私は思うわけなのだけれど、ここでNOを突き付けられないのも彼らしいといえばそう。
発刊された雑誌の現物を見ると、真顔で写っていたはずの漱石の写真には少し手が加えられ、ビミョーな笑顔の写真に変化させられていた。

いわゆる「写真補筆」というのだろうか。
現代でいう「フォトショ(photoshop)」的な加筆修正を手で行うことは、明治・大正期から普通に行われており、見合い写真でも一部の新聞記事でも見られる行為だった。

試したご当地の飲み物
・オリーブ茶(ヤマヒサ)
・オリーブサイダー(谷元商会)
・瀬戸内レモネード(西野金陵)
いずれも美味でした

スーパー自己満足二次創作同人誌(文庫サイズ100ページくらいの本にしたけど特に現物の頒布はしてない、内容本文の方は公開してる)を初めて作ったのも彼らに関する空想を残しておきたかったから……
原作における関係の性質をいじらずにひたすら咀嚼しては掘り下げる、みたいなことがやりたかったんだよなぁ。

あとひとつ長めの話を書いていて、それは過去にオンラインイベで公開しただけで、本にはしていない。紙で手元に置いておくためだけにまた作ってみようか迷ってる。
他に細々とした短編もあわせるとトータルで10万字くらい書いていたみたいだった。

しかし結局お話を勝手に構築するわけだから、過程では当然自分の《願望》が生み出した要素も如実に反映されており、読み返すと「フーンこういう表情とか状況とか感情の推移なんかが好みなんだ……」という己の嗜好に対する感想があれこれ湧く。

動きがないというわけでもないけれど、ただ向かい合って淡々と会話したり、相手がいないところでその対象について考えたりするシチュエーション、みたいなところに好きな要素が多くあるのかもしれない。

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