北斗信仰について引用メモ。
#光る君へ
「その信仰方法にはいろんなものがあったわけで、北斗の字を朱書することや、 剣に七星を描くこともその一つであったろう。なかでも、最もオーソドックスな信仰方法は「四方拝」であり、それは、道教教典 『北斗本命延生経』などに記載されている。(→)
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四方拝は次のようにして行われた。清涼殿の東の庭に屏風を八帳立て三つの座を設ける。北斗七星を拝む座、天地を拝む座、そして山 (父母の)を拝む座の三つである。まず北斗七星を拝む座で天皇の生年にあたる星の名が七遍となえられる。その星の名は次の通りである。
子年貪狼星 丑亥巨門星
寅戌禄存星 卯酉文曲星
辰申廉貞星 巳未武曲星
午年破軍星
「次に天地を拝む座において、北に向いて天を拝み、西北に向いて地を再拝。このあと、南の座において山陵に向かって再拝する。「急々如律令」で終わることでもわかるように、これが道教に基づく呪文であることはだれが見ても 明らかであろう」(福永光司・千田稔・高橋徹『日本の道教遺跡を歩く』)
〈青斑石鼈合子〉これだな。拡大すると反転した北斗七星が甲羅上に見える。「蛇紋岩製での形を彫り出して蓋として、腹の部分に八稜形の皿が収まるようになっている。鼈の両眼は深紅色の琥珀をはめ込んでいる。…甲羅には、北斗七星を反転した形が金と銀で描かれている」 https://shosoin-ten.jp/info/treasures/000284/
「日本での北斗信仰は…古くから伝わっていた。 昭和四十七年(一九七二)に発見された極彩色の壁画古墳、奈良県高市郡明日香村のあの高松塚の天井には北斗七星の図が描かれている。四十九年四月には石川県羽咋郡志雄町寺山にある寺山古墳群の横山古墳でも、天井に点描されているのが見つかった。平成十三年(二〇〇一)にデジタルカメラが 撮影した明日香村のキトラ古墳の天井石にも金箔の星座が描かれていた。(→)