「この四方拝を飛鳥時代の皇極天皇が、今の明日香村稲淵で行ったことを『日本書紀』が皇極元年(六四二)八月の条に記録している。それ以後、飛鳥から奈良、平安時代にかけて、四方拝は行われつづけたように思われるが、 史料では確認できない。平安時代の宮廷儀式を詳細に記録する大江匡房の『江家次第』(巻一)には、 京都の宮廷で元旦に行われた四方拝の儀式は寛平二年(八九〇)の『御記』に初めて見えると記している。(→)
〈青斑石鼈合子〉これだな。拡大すると反転した北斗七星が甲羅上に見える。「蛇紋岩製での形を彫り出して蓋として、腹の部分に八稜形の皿が収まるようになっている。鼈の両眼は深紅色の琥珀をはめ込んでいる。…甲羅には、北斗七星を反転した形が金と銀で描かれている」 https://shosoin-ten.jp/info/treasures/000284/
四方拝は次のようにして行われた。清涼殿の東の庭に屏風を八帳立て三つの座を設ける。北斗七星を拝む座、天地を拝む座、そして山 (父母の)を拝む座の三つである。まず北斗七星を拝む座で天皇の生年にあたる星の名が七遍となえられる。その星の名は次の通りである。
子年貪狼星 丑亥巨門星
寅戌禄存星 卯酉文曲星
辰申廉貞星 巳未武曲星
午年破軍星
(画像はhttps://dainichiji.jp/u_knowledge04.htmlより)