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マッシュルームをバターで炒めて、細かく刻んだイタリアンパセリと合わせてパンに乗せ、チーズを被せてトースト。仕上げにコショウとオレガノ。たまらん。

エナドリはまだ飲まない。寝かす(寝かすとは)。今はコーラ飲んでる。あとでコーヒー飲む。市川屋珈琲の豆を挽くんだけど、豆は挽いてる途中の乳製品の酸味みたいな香りが好きで、豆挽いてる時が幸せ。飲んでる時にそれを感じられるのがイノダコーヒーのアラビアの真珠の砂糖とミルク入れてる時なんだけど、実際に自分で挽いて淹れたコーヒーに砂糖とミルク入れるのはなんだかもったいなく思えてしまっていまだにしていない。

投票してエナドリ3本買った。今日は仁を触る。中元が行けたら中元ポールとプレマもする。昨日は同キャラをお願いしたら何もできずに帝段昇格の歓びが一本の髪の毛くらいに軽くなって、風にさらわれた(GATTACA)。
オンラインゲームは村勇者の存在を消し去って、瞬時に世界ランキングに参戦させられるから、気合の入った人でないとなかなかランクマッチの継続って難しい。プレイヤー人口が100万人いるゲームの上位2%に入ってもふ~んで済んじゃう世界。ゲーセンが一駅ごとにあったような時代なら、そこそこ知られたくらいの腕前でいられたのに。
いやでももちろんそのおかげで離れた友達とゲームできるんだけど。

「させていただく」とか「やれてない」が、当人同士ですら(アホくさ)って思ってそうなビジネス会話の中で便利に使えちゃうっていうのはまぁわかるんだけど。

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「させていただく」ってへりくだり方がキモいんだけど、こういうの周りが使いだすと自分もつい言っちゃうんだよな。まだ今の所セーフだけど、いつか言っちゃいそうでひやひやしてる。
「〜しかない」も間違いではないけどミーム化してすっかり嫌いな言い回しになってしまった。「やれてない」は言い訳がましいニュアンスが嫌で気合いで使っていない(無自覚に使ってる可能性はある)。

「参加させていただく」
「やれてないです」
「感謝しかない」

「参加いたします」
「していません」
「感謝しています」

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『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』感想

選挙において「白票」自体は個人の自由だけど、白票を呼びかける「運動」には深刻な問題がある。さまざまな手口で卑怯に蔓延する「投票抑圧」という社会問題を、アメリカの歴史を基に掘り下げていく選挙入門ドキュメンタリーです。投票に行く…それは投票抑圧に屈しないことでもあります。

👇 ネタバレあり
cinemandrake.com/all-in-fight-

twitch.tv/blotzky_roar
ランクマ。SPコンビネーション使いたいよランクマならやっぱり

髪の毛長いとシャンプー時に排水溝に全部流したくなくて、手に取れるやつは太ももの上で転がしてまとめて浴槽のふちに置いとくんだけど、ちょっとそれを捨てるの無精して、シャンプーの抜け毛2,3日分にまとまってしまうことがあるんですよ。炭酸に「おめーあの呪物何とかしろよ」って怒られると、すいやせんって卑屈な顔で謝りながら捨ててます。
あと全くどうでもいい話なんですけど、漆塗りの刷毛って人の髪の毛を使うんすよ。

昨日、炭酸に「明日アマプラで観ようぜ」って誘ってたの忘れて配信始める5秒前だった。あぶね〜。観たらランクマする

オートマトンのメタファーの記事キツくて読みきれんかった。メガテンやペルソナプレイヤーを「自分を勇者とは思えない人」とか「コンプレックスのあるサブカルオタク」って感じの雑なレッテルでまとめられてた。なんじゃこりゃ。何日か前にも言うたけど、そういう自認が無いんだよ。スクールカーストとか、隠キャ陽キャって枠を感じたことないから、メガテンやペルソナがそういう人向けのゲームとか何言ってんのか全然わかんない。
あと善悪が曖昧とかの価値相対主義的な社会問題に対するヌルい認識もキツい。マジョリティの持つ特権にノータッチでそりゃないっしょって感じ。そんな感じでテキストが展開されるから、ライターが含意を込めて「毒気」とか「誠実さ」って単語使ってるけど、解像度が低いせいでそうした単語も磨けてなくて、レビューというよりもヌルい自説発表だった……

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これで投稿されるのかな?機能いっぱいでよくわかんない…

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“ソロプレイ専用”MMORPG風ゲーム『Re:END』Steam版お披露目。2000年代MMOの要素を取り入れた、シンプルお手軽やり込みRPG automaton-media.com/articles/n

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Steam無料・“タイマン専用”対戦FPS『STRAFTAT』お手軽に白熱できると人気急上昇。シンプルながらも熱中できるハイテンポアリーナシューター automaton-media.com/articles/n

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だからまあ最近の私は、そもそも人間同士は分かり合えないものであり、ただ許すことしかできない、という四半世紀前に講義で聞いた言葉(どの先生の言葉かすらもはや曖昧ですが)を思い出すばかりなのです。分かり合えないことを前提に、たまに少しでも繋がれそうなら喜ぶ、そう生きるしかないのか。

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『ナチスは「良いこと」もしたのか』にしても、「意見の前提となる事実関係の確認をしましょう」という“だけ”の本なのに、読んだのか読んでないのか、平然と「ナチスはアウトバーンを作った、経済を回復させた」などと繰り返す人がネットでは目に付くのです。誤りを認めないのです。

誤った事実であっても、ネットで何百回も徒党を組んで繰り返すうちに、それが「事実」であるかのように思い込むクラスタが形成され、いったんそうなってしまうと事実をいくら証拠を示して述べても、さらには訴えられて裁判で負けても、誤りを認めないのです。暇空茜事件はその一例にすぎません。

そんな時代に、そもそも「事実」をもとに適切な「解釈」を行い、そこから妥当な「意見」を導くという手順は、軽視されるどころか意見の自由を奪うものとして憎悪されているのではないか、そんな恐怖を私は最近のネット上の言説から感じずにはいられません。これは歴史にとどまる話ではないでしょう。

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昨年出た『ナチスは「良いこと」もしたのか』 amzn.to/3YeCdj0 の書評会に参加する機会がありまして、この本はトランプ的なナチに関する俗説を検証した良書ですが、著者の一人の小野寺先生が、歴史には事実・解釈・意見のレイヤーがある、という議論をされていました。

しばしばこれが混同されるのですが、意見は何を言っても自由でも、事実や解釈に関しては研究で明らかに誤っていると検証されているものもあります。同書は「この俗説は事実としておかしい」と論証したものですが、それを勘違いして「俺の意見表明を抑圧するのか!」とキレる人が続出しているようで…

ただ私はもっと悲観的に思うのですが、意見の前提の解釈、さらに基盤の事実の段階で、このSNSと動画ばやりのポスト・トゥルースの時代では、もはや共通理解が成立しなくなってきているのではないでしょうか。「この史料にこう書いてある」という、いちばん基本のところでもう捻じ曲げられてしまう。

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