Threadsをアンインストールしました。おすすめタブに教訓や悪口や愚痴が流れてきすぎ。あと揉めそうなトピックをわざと表示させてるのかと疑いたくなるほど、投稿に意見の異なる人が不時着して要らんコメントをしているのを見かけます。
しかもこの手の投稿がInstagramのほうにもサジェストされてくる……
『The Seven Moons of Maali Almeida』は、戦争カメラマンでギャンブラーで隠れゲイの主人公が、成仏するタイムリミット前に自分が殺された理由を探るために奔走する話。
ブログに書いた感想はこれ↓
https://springroll.exblog.jp/32419367/
そういえば2022年のブッカー賞の『The Seven Moons of Maali Almeida』の邦訳は河出から出ますね! >『マーリ・アルメイダの七つの月』
谷崎潤一郎や芥川龍之介らが校正家に宛てた書簡 約200通が発見 | 文芸║NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231202/k10014275781000.html
日記:公園に寄った町でついでに買い物。
八百屋で紅くるり大根とシルクスイート(さつまいも)を買った。大根は甘くてみずみずしくて焼くと旨い品種だと店の人に解説されたので、言われたとおり焼いて、砂糖と醤油とカツオブシで味をつけた。イモは皮をむいてレンジ加熱のみ。少し味噌をつけるかもしれない。
冷蔵庫在庫のアボカドを切って、トリュフ風味のプロセスチーズと一緒にレモンドレッシングで和えた。
池つき公園がある町ではあらゆる商店で会話が発生しがちだ。ホームセンター兼アウトレット食品兼包丁とぎや時計の電池交換をしてくれる個人店なんかもある。昔から住んでいる人や持ち家の人が多く、商店街がなんとか成立しているのだ。しかし店主の高齢化や店の老朽化は進んでおり、世代交代はかなりきびしそうである。
はたして営業しているのか不明の畳屋が、店先で衣装ケースを使って無料の蔵書放出をしていたため、つい平成初期に刊行されたハンガリー滞在記や、菊名(横浜市港北区の駅)の歴史の本をもらってくる。
京都SFフェスティバル2日目「海外クィアSFの広がり」企画への登壇を終えました。背景をド直球にしました。
※本企画は1日目と違って録画の公開予定がありません。
やっつけで作った導入スライド
https://docs.google.com/presentation/d/1jxk5I5LKeEXOo75MiQ865GYBoz09XzVc3Qk9T_6PkBg/edit?usp=sharing
「真正なクィア」とは何か(自分語り) 3/3
長々と書いた理由だが、つまり私の
場合は「身近な人たちからなんか違うと思われる」「恋愛沙汰が起こる」とき、質問への回答として一時的に自覚が発生する。明確な性自認や性的指向を持つ人に対しては今でも「まじで?」と不思議に思う。その意識は……どこからどうやって生えるものなのか?
ところで私は二次性徴がなかなか発現せず、実際ホルモンバランスが標準とは異なっていた事情がある。これまた親や、男女を問わず友人たちからは「そんなに体が○らしくないなんてことある?」と聞かれ続けた。肉体はもちろんのこと、性欲や感情の起伏は性ホルモンからの影響が大きいのではないかと経験から考えている。しかしこれをうかつに言うことで、非当事者による偏見が生じそうなので言えない。
また、発達特性に由来したジェンダー意識の特性はあり得るとも思っているが、これもうかつに言うことで(以下略)
なお私には学習障害や感覚過敏、左右の認識が不得手という特徴はあるが、発達障害の診断は今のところ下りていない。
くりかえすが、大事なことは原因を追求することではない。焦点は個人がさほど死にたくなく、自分らしく生きられるか、そのために何ができるかだろう。
「真正なクィア」とは何か(自分語り) 2/3
私の性自認はノンバイナリーやアジェンダーと言っている人に近く、性役割や性的指向は固まらない。ゆえに“真正性を証明”できない。「なんらかのクィア」としてクィアネスへの親しみは持つ。
私(1984年生まれ)には小学校の頃から級友に同性愛者かどうかを聞かれることが複数回あった。考えた結果、自分はバイセクシュアルという結論に達し、中学以降はしばらく「どちらかといえば女性が好きなバイセクシュアル」と恋愛沙汰に巻きこまれた際には開示していた。
高校時代、戸籍の性ではない性別の趣味嗜好や価値観を持つと言われることが多かった。
大学時代は「両性ともいけそう」と言われる一方で「モテに無頓着」「性欲がなさそう」とも言われた。言われてみれば確かにそうである。そこで20歳ごろから自分はアセクシュアルだと開示した。
ほぼ同時期、親に「性別移行をしたいのか」「それとも同性が好きなのか」と問われる。移行手術は考えておらず、同性が好きな場合もあると答えた。
社会人以降、保守的で平均年齢が高い職場(勤め先1、勤め先3と仮称)では同性愛者だと思われる、戸籍の性と異なる性自認を持つと思われる、異性装をしていると思われる、ふるまいが性別に則していないと言われることがあったが、スルーした。
「真正なクィア」とは何か 1/2
おそらく「クィアっぽいが自分は本当にクィアなのか」「ずっとクエスチョニングで自分の属性が何かわからない」「異性のパートナーを持つ人あるいはパートナーがいない人として埋没した社会生活を送るため、性的指向/性自認が“証明しにくい”(他人に証明する義務なんてないが)」みたいな悩みを持つ人は少なくない。
大事なことはあなたが死にたくなく、そこそこ幸福に、それなりに自分らしく生きられるかどうかである。←大事
これからまた“思春期や不安定な時期に感じる一過性の混乱”言説が勢いを増してあなたを悩ませるかもしれないが、それはかつても英語圏の大手メディアがばらまき、同性愛が長年戦い続けたトピックである。大体いかなる主義思想も人生が進むにつれて、割と変わる。
BT 題名も内容紹介もセンセーショナルに恐怖をあおる感じで、排外主義本にそっくりだった。
原副題も“ブームに娘たちが誘惑される”という意味だし、日本語の内容紹介文のしめくくりが「母たちからの愛の手紙」だ。
たぶん子供とくに娘の主体性を認めず、“親からもらった大事な体”を信仰する人たちに歓迎されるだろう。
わざわざ内容説明で特例法の違憲判決の話を持ち出しているの、差別から生じる意識を煽って商材にしようとする意図がむき出しすぎて信じられない。大手出版社がここまでやるの? 今まで散々多くの人が必死に書いてきたのをなにも誰も読まなかったの? 出版社にさえ届かないの? もちろん、運動してきた人がいるからこそこの程度で済んでいるのは想像できる。でもこれはちょっと信じられない。世界が目の前でぐにゃっと曲がったのを感じる。この先私は生きていけるんだろうか。ターゲットにされているこれから移行する若いトランスの人々は? 生存を奪うような本を売る意志に満ちている出版社があることを信じられない。
めちゃくちゃ短いですが今感じているショックについて書きました.
https://kondoginga.substack.com/p/kadokawa?utm_campaign=post
会社員ときどき文筆業。
Japanese SFF book reviewer & anthologist