任意のクィアな欲望が内心の自由の範疇においても否定されるのであれば、それはそのような欲望をもつ人たちの生存可能性を著しく損なうことというか、欲望は社会的に形成される側面もあるけれど、個々人が自由に選びとることのできないものでもあり、たとえそれにしたがって行為することが加害的とみなされるような欲望であっても、内心の自由の範疇にあるそれが否定されることはあってはならない、と思います……
CINRAの映画評のジェンダー・セクシュアリティ表象をめぐる表現について
色々な兼ね合いでわたしがどれほど言及していいのか迷うところだけれど、Ace/Aroと性器の有無に関する記述が修正されてなお、(たとえトランス差別的な言説に抗する目的であっても)バービーたちが外性器とは無縁な仕方で女性的/男性的であるとしているのは、本来取り合うに値しないことであるはずの「外性器とジェンダーの関連」を「問題」として扱っているという点でトランス差別に抗するという意図に反していて、それは依然として残る問題と思います……
各書店や注文した方のお手元に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)が届き始めているようです。増補分の私のエッセイは手紙形式。昔は活動してたんだけど…若いときは頑張っていた…と思うことがある同世代の方へ、「ご機嫌いかがですか」。すでに読んだ方からは、拙著の「はじめに」の続きとしても読めるという感想をもらいました。
書き始めるときには歌や詩、映画のフレーズから着想を得ることが多いのですが、今回は中島みゆき「御機嫌如何」と、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でした。中島みゆきは人生の殆どの局面に対応していると思います。
https://youtu.be/MjVwVyM7XAk
これは「なぜそのセリフがそこに入るのか??」ということを考え始めると、なかなか怖いような歌でもあります。
立岩真也用の献本が宙に浮いたことを受け止めかねたまま、今日で大学の一斉休暇も終わりです。
反トランス差別の立場をとる人たちが軒並み読書人の依頼を断ったら媒体が本当にトランス差別に染まってしまうし、内部に媒体の体質を変えようとしている反トランス差別の編集者がいることも知っているので、トランス差別への抵抗言説を載せられるものに限り読書人の依頼は今後も受けるつもりですね、わたしは……
ICUのこちらのイベント、とても行きたかったのですがすでに定員に達したようで申し込みできず……
https://subsite.icu.ac.jp/cgs/event/lecture/a.html
研究にせよ論考にせよ創作にせよ、自分の仕事をそれが有効である限りやり続けたいと思っているけれど、それに携わり続けるかぎりヘイトから逃げられないと思うと、ぞっとするというか、身体が竦むような感じがする
バトラー、文芸 │ nonbinary(they/them)・asexual│ 文芸同人誌「花と青」 https://researchmap.jp/aomoto-yuzuki