CINRAの映画評のジェンダー・セクシュアリティ表象をめぐる表現について
色々な兼ね合いでわたしがどれほど言及していいのか迷うところだけれど、Ace/Aroと性器の有無に関する記述が修正されてなお、(たとえトランス差別的な言説に抗する目的であっても)バービーたちが外性器とは無縁な仕方で女性的/男性的であるとしているのは、本来取り合うに値しないことであるはずの「外性器とジェンダーの関連」を「問題」として扱っているという点でトランス差別に抗するという意図に反していて、それは依然として残る問題と思います……
CINRAの映画評のジェンダー・セクシュアリティ表象をめぐる表現について
これは媒体に関しての疑問ですが、問題のある表現が跡形もなく修正されてしまうのは歴史の修正に近いことだとも思います