15年ほど前の話だから、今はどうだかわからないけれど。いわゆる女性のシェルターって場所は基本的には2週間しか利用出来ない(ことになっているけど、何故かそれ以上居た人もいたが)
じゃあ、2週間したらどうするのかというとグループホーム的なところに引っ越すことになるのだけど、その条件が介護ヘルパーの資格を取るというもので。
命からがら逃げてきた人に対して、どうも足元を見ているようで納得いかなかった。
今は、どうなんだろう…
知り合いに、解離って何?って訊かれたんですけど、何なんでしょうねぇ(医学的に)
自分の気持ちを言葉にする
自分の気持ちを言葉にするのは大切だと思います。それは気持ちを落ち着ける役に立ちますし、自分を他人から理解してもらうためにも有効です。
「言葉にしてしまうと嘘になる」ケースがないわけではありませんが、それを多用してしまうのは危険です。言葉にしない言い訳になってしまうために、言葉にする練習が不足するからです。
自分の気持ちは絶え間なく揺れ動いており、しっかりした形をとどめないのが普通です。とらえどころがないと言っても良いでしょう。そんなものを言葉にするのは難しくて当然です。けれど、何らかの形で捉えないことには、自分の気持ちに振り回されてしまうことも多くなるでしょう。
自分の気持ちを言葉にするときには、100%を目指さないのが無難です。そもそもそれは不可能だからです。気持ちは頻繁に変化し、揺れ動きます。そして、その気持ちを観察している自分の考えがその気持ちをさらに揺らします。
100%正確に表現できなくてもいいのです。ゼロ次近似でも一次近似でも、近似的に表現しようと試みるのが大事です。
表現しようと試みると、整理しようと考えますし、よく観察するようになりますし、注意深くなります。まずはそれが大切なのです。
表現するときに、自分の表現力に合わせて気持ちを動かさない方が良いでしょうね。乏しい語彙に気持ちの方を合わせるのは良くありません。表現しようと試みるのだけれど、それが不完全であることは充分認めて進めばいいのです。
自分の気持ちを、不完全ながら言葉にする習慣ができていると、そしてその言葉がどうやっても不完全であることを理解していると、他人の表現にも寛容になります。
他人が気持ちをうまく表現できなくても、言葉の選択がうまくできなくて、あるいは、あるとき語ったことと矛盾したことを言い出しても、自分の経験に照らし合わせて「確かにそうなってしまうな」と理解しやすくなります。
言葉にしてしまうとウソになるケースは確かにあります。また言葉にしない方がいいこともたくさんあります。けれど、いつもいつもそれで終わらせてしまうのはもったいないことだと思います。
揺れ動く自分の気持ちを注意深く見たり、「この気持ちはどういうことなのだろう」と考えたり、そしてそれを言葉にしてみたり。そのようなことを考えるのもまた、生きている印の1つと言えないでしょうか。
朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。
@kotonoha_s ソウルでいちばん最初に好きになったのがソルロンタンです(次がトングランテンでした)わたしは東大門のお店のが一番好きですが、あー食べたいですねソルロンタン!
お前たちがいないと駄目なんだ…といつまでも布団と毛布から独り立ちできない。
改めてですが、精神科通院で障害年金や障害福祉手帳で就労支援施設で就労している方にとって、身近にアクセス出来るこれまでそれらの診断書作成、治療を担当者してくれていた医療機関がなくなるということは、生活基盤の存立すら危うくなる極めて危機的な状況です。まして名取地域は震災時最も被害が深刻であったところですから、地域の患者さんに何重もの困難を今後もたらす危惧が強いです。
改めて、心より深くご署名、ご賛同を賜りたく存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。
QT: https://fedibird.com/@moran_aoki/109827445801287330 [参照]
夜空に煌々と 独りぼっちで立ち尽くしている東京タワーが好きです。