今夜の読書会の予習で『The Chaos Machine』を読み進めているけど、2章が2014年に起きたゲーマーゲートの話で、そこにBut the truth hardly matteredという一文があって、うわあ…でも本当にそうなんだよなと思った。
要はデマによってゲーム開発者の女性を攻撃するように犬笛を吹いた人物がいて、その嘘はすぐに暴かれたんだけど、デマの内容が真実かどうかは彼女に対する攻撃に群がるネット民たちにとってどうでもいいことだったということ。8年前の話なんだけど、出来事の構造が今も続くcolaboに対する攻撃とそっくりで暗澹たる気持ちになる。
この本、今のソーシャルメディアの現状を正確に理解する上でものすごく重要な内容満載なのだけど読んでいるとメンタル的に結構きついものがある。
白人の差別主義者にDNA解析を受けてもらったら、それこそいろんな人種のDNAが混ざっていて衝撃を受けた、というような動画を見たことがある。その後、差別的な発言はあまりしなくなったとか。
日本人の差別主義者も受けてみればいいのに。"純粋な日本人“とやらがどんなDNAを持っているか興味があるよ。
だいたいホモ・サピエンスは一種しかいない。みんな同じで歴史上どんどん交わって来たんだ。人種で差別するなんてナンセンスもいいとこだ。
坂村健の目:マスク氏に学ぶ 「迷走」を恐れない社会 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230117/k00/00m/040/117000c
「迷走にも建設的なものがある」みたいな謎理論だが、建設的でないから「迷走」なのであり、そもそも「マスクに学ぶ」とか言ってる時点でおよそ建設的な話になるはずがないので、読まずに丸めてゴミ箱直行でよいです(うっかり読んでしまった私からの教訓です
維新と自民の憲法改正、安保、エネルギー、国会改革での国会内共闘成立をみて立民(あえてこう書いてます)支持者が「維新との共闘が効果的だったから野党の分断にかかってる!」という反応を見たがそれは間違いだ。
憲法はまさに国家の進むべき方向を定めるものだからそれの改革において自民党と維新とが共闘できるのは目指すべき国家方針が一致してるからにならない。
泉健太らが統一協会(統一教会)=国際勝共連合問題で表面的に維新にすり寄ったため自民党と維新との共闘成立と相成ったと判断するのが妥当だ。
そもそも統一協会(統一教会)=国際勝共連合問題はアメリカの都合により免責された大日本帝国の残党らが日本国の権力に居座るからこそのものだ。
そこを泉健太らがアンタッチャブルなものとしてお茶を濁せば残党たる自民党や維新とは小躍りして残党としての本分を発揮するのは当然。
「新自由主義」ってつまり、「上手いことやったやつが成功の果実をほしいままに享受する」っていう立場だよね。そういう立場を信奉する人間がいることは理解するが、「政治」がさらにその後押しをする必要がどこにあるんだ、という話ですわ。
盗人に追銭、といえば言い方は悪いが、「抜け目のないやつ」を敢えてさらに政治がバックアップするなんていうどう考えても邪道としか思われない。「弱者の困りごと」を解決するために政治はあるのであって、上手いことやった奴なんてほっといてもいい目見てるんだからそんなのをさらに経済的に優遇するようなものを「政治」とは私は絶対に呼びたくないね
個人的な印象として総括すると、結局維新ていうのは「自己実現の場」としてギーン資格の欲しい意識高い系の連中が集まる選挙互助会にしか見えないんだよね。意識高い系だから意識高い企業活動家とかとの親和性が極めて強い反面、現に生活に困ってる「弱者」にはとても冷淡である。「弱い立場の人に配慮した政治」などまずこの政党には望み得ない。
そしてそうした意識高い系構成員の特性としてマッチョイズムは標準装備で、そこにまず例外なく歴史修正主義がオプションで付いてくるという
「社会から最も恩恵を受けているものたちは、利得の対価を購うべきだ」
名言爆誕。
富裕層がより高率の税を支払わなければならない理由はここに尽きる。
原文はこちら。
"Those who benefit the most from society should pay for that advantage."
「ハーフ」等と呼ばれる人々がスポーツで活躍した時、いくら血反吐が出るような努力をしていてもそこは認められず、「やっぱりハーフだから」「外国の血が入っているからだ」などと周りから時にはコーチや先生や身内から言われることがありますが、ぜひ本人の積み重ねてきた努力を賞賛してください。
インタビューをしてきた方の中では、インターハイに出場するレベルの選手が身内から同様のことを言われてスポーツの道を諦めざるを得なかった人もいました。その影響をぜひ考えてみてください。それぞれの「人種的」バックグラウンドの中で人によって得意不得意があるのは考えればわかることだと思います。こういう「人種」だから、こういうことが得意・不得意だというイメージは人種的ステレオタイプとしてテレビなど様々なメディア媒体から刷り込まれていることを自覚し、ぜひ本人の努力にフォーカスをあててください。
これは他の分野でもいえることだとおもう。この肌の色、この自分自身の生は現存たるものであると同時に、また置かれた社会的状況があると同時に、本人が努力して日々積み重ねてきたもの、ずっと続けてきたこと、歯を食いしばってやり抜いてきたことがある、そういうのがルーツばかりがフォーカスされる中で、わかりやすい物語りとして消費され抜け落ちてしまうという事はよくある。
特定の運動に関するハッシュタグを目的外で使わないでほしいというお願いがたびたびマストドンでは投稿されます。
リンクはオーストラリアの第一住民の声を議会に届ける運動をする際に守ってほしいガイドラインの紹介です。
意見の表明にはCWを使い、#議会に届け #ウルル声明 のような(和訳しています)特定のハッシュタグを使ってほしい。そして第一住民でない人たちは、民族名のハッシュタグを使わないでほしいとのこと。それらのタグは民族のコミュニケーションに使っているのでノイズを混ぜたくないのだそうです。
民族運動が身近にないわたしたちには理解しにくいお願いですが、黒人コミュニティやLGBT+、トランスジェンダーでも同じような依頼はたびたび目にします。私は尊重していこうかなと思っています。
ちなみに、似た話として「Fediblock」のハッシュタグを安易に使うなというものがあります。Fediblockは差別活動家やストーカーからユーザーを守るための重要なハッシュタグなのでノイズを混ぜないでほしいのだそうです。
現政権、というより日本の公安警察そのものが市民の運動を潰し続けてきたと思う。共産党とが、政治関連とか全く関係なく、人を集めて行動する運動を彼らは徹底的に潰すか、コントロール下に置きたがる。
カウンターのとき、身近な人たちが次々に微罪で逮捕されるのを見て、つくづくそう思った。「弾圧」は戦前の歴史用語ではない。
思い出したのがこの動画。
フランス人は洗練されてるけどブリティッシュはちょっとね、とか、ピュアイングリッシュである事に誇りを持っているがジャーマンが嫌い、とか、アイスランド人が至高の民族、みたいな人々がDNAテストを受けてみると…という動画。
日本語字幕もあるようなのでONにしてご覧ください。
しかしこの動画、リリースしたときに見て感銘を受けたものですが、もう6年前とは…