アジア各国指導者のアジア•太平洋戦争についての発言
ラウレル(フィリピン)(大東亜会議にも出席した日本軍政下の大統領)
「我々フイリピン人は日本軍のお蔭で独立しました。心底から有難い。この感謝は永久のものです。 しかし独立後に一体日本軍は何をしてきたか。我々を抑圧するばかりである。われわれには現在実力がない。しかしもし我々が実力をもった後でもなお日本軍が今のように無軌道であるならば、必ず復讐します。」(『田尻愛義回想録』P113)
バー・モウ(ビルマ)(大東亜会議にも出席した日本軍政下の首相)
「そのなかで最も重大なことは、戦時中の日本人の民衆に対する行為であった。まず冷酷で短気な日本軍人が残虐な振舞いをしたこと、そして、もっと残酷なやり方でビルマとビルマ人及びその資源を日本の戦いのために利用したことについては、疑う余地がない。戦争そのもの、そしてそれが生み出す情勢は残酷であり、また人を残酷にするものではある。
しかしこれらの軍人はビルマ人の知っているすべての者よりはるかに残虐であった。これらの人々の残虐性、横柄さ、民族的自負はビルマ人の心に戦時中の記憶として深く残っている。東南アジアの非常に多くの人々にとっては、それらのみが戦争の記憶のすべてである。」(バー・モウ『ビルマの夜明け』P195)
リー・クアンユー(シンガポール)(初代首相)
「私は、日本から多くのことを学んできたが、一方で率直に批判もする。とりわけ戦争中の行為への謝罪に明らかに消極的な姿勢を問題にする。過去を清算し、将来への新たな一歩を踏み出すべきだ。 」(『リー・クアンユ回顧録』 まえがき)
トゥンク・アブドゥル・ラーマン・プトラ(マレーシア)(初代首相)
「日本占領下の三年間、我々が耐え忍ばなければならなかった数々の苦難のために、日本に対する恨みは根強く、国民の感情は敵しかった。
数多くのマラヤの住民とその連合軍が殺されたのであるから、あの占領時代のことを忘れるということは無理であった。もう一〇年以上も前のことであったが、日本軍の専政とその残虐な行為は我々の心から消えることはなかった。」(『ラーマン回想録』P214)
ネルー(インド)(初代首相)
「日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかということをわれわれは見た。 ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。そのにがい結果を、まずさいしょになめたのは、朝鮮であった。」(ネルー『父が子に語る世界歴史3』 P222)
アジア各国教科書の記述
・マレーシア 中学2年生用 『歴史の中のマレー』1988
「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本人の支配はイギリスよりずっとひどかった」
・フィリピン 小学校4年生用 『歴史』1977
「フィリピンの歴史における暗い時代は私たちの国を日本国が占領した時です。日本軍は、来たばかりの頃は、自分たちはフィリピン人の友達だといい、フィリピン人と日本人を結びつけるためアメリカを敵としました。彼らは、人々の食料や家財道具をはじめ、乗り物や大きな家々も取り上げました。彼らはまた、とらえた人々を拷問し、殺しました」
・台湾 中学生用 『高級中学歴史下』2000
「二十余万人に達する台湾籍の軍人・軍婦が前線に送られ、さらに少なからざる少女が異郷で淪落し慰安婦にさせられた。これらの計り知れない辛酸血涙は、みな日本の植民地統治が残した歴史の傷跡である」
・ミャンマー 八年生用 「ビルマ史」(一九八七年版)
「「独立」したとはいえ、ビルマ政府には本来あるべき権限はなかった。ファシスト日本が許容した権限があっただけである。日本時代にもっとも強大な権力を見せつけたのは、日本軍の憲兵隊である。憲兵隊が管轄し、処理する事柄については、階級の上下を問わず、いかなる日本軍将校も口出しできなかった。一般の国民は、憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問され、さらには虐殺されたのである。こうしたファシストの弾圧の結果、無法者から学歴があまりない者までが、反乱への怒りの炎をたぎらせた。真の独立を望む声は全土に広がった。民族、男女を問わず、僧侶も一般国民も、ファシスト日本に反乱を起こそうという強い決意を抱くようになった。」
・タイ 中学校2年生用 社会科教育読本『歴史学 タイ2』(タイ語)教育委員会仏暦2523年(1980年)版
「タイ人の多くは、日本がタイを占領し、横行することに不満を感じていた。タイ人のグループのなかには、日本と同盟関係をもつという政府の方針に反対するものもあった。」
・2013年のピューリサーチセンターによる世論調査https://www.pewresearch.org/global/2013/07/11/japanese-publics-mood-rebounding-abe-strongly-popular/
「日本は1930年代40年代の軍事行動に対して十分に謝罪したか?」という問いに 対する答え
・シンガポール 中学校初級用 『現代シンガポール社会経済史』1985
「日本軍警察であるケンペイタイについては、恐ろしい話がたくさんある。スパイによって日本軍に通報された者はケンペイタイの建物に連れて行かれた。そこで彼らはあまりにもひどい拷問を受けたので、多くの者は自分の受けた苦しみを人に告げることなく死んでいった。最も一般的な拷問のひとつは「水責め」で、とらわれた人は寝かせられ、大量の水が鼻や口に流し込まれた」
・インドネシア 高校3年生(インドネシア歴史教科書「日本軍占領時代」)
「日本による占領時代は、インドネシア史上最悪の時代であった」
・ベトナム 十二年生用 「歴史 第一巻」1984
「インドシナに足を踏み入れて以来、ファシスト日本のあらゆる経済活動は、直接的にあるいはフランスを通じて間接的に、略奪戦争を遂行するため、資源や食料をできる限り多く獲得することであった。(後略) もう一つの非道な政策は、日本への供出用と戦争の備蓄用とのために、食料、とくに米の強制かつ廉価な買いつけをしたことである。この非道な政策こそ、市場における深刻な食糧不足をもたらし、一九四五年初頭の数ヶ月の間に、北部で、二〇〇万人以上のわが同胞が餓死した直接の原因となった。」