少し別の観点で憎悪増幅器のように語られているtwitterのことを。
自分はtwitterは趣味とリアル友中心に数百人でこじんまりやってるだけなので、実は自分の観測範囲では炎上みたいなことをあまり目にしてないのです。
フォロワーさん多い人の話を聞くと別のSNSの話のようにも感じてしまう。
なのでSNSの炎上性向はプラットフォーム特性が半分はあるけど、残りは自分の使い方繋がり方にもよるかなと思ったり。
逆に言うと延焼の仕組みやアル ゴリズムの悪さが無いSNSでも使い方や人選次第では残念な事が起きると思ってます(昔mixiのごく小さなコミュ内でしょーもない揉め事発生してたり)
なので丼は天国・鳥は地獄、と言われると自分はそこまでは共感出来んなあというのが正直なところです。
Twitterもマストドンも使い方次第・人次第、という、我が意を得たりの投稿が目につくようになってきた。慶ばしい。
しかし、この「独り言ツール」という概念はひっかかる。特に日本のTwitterでは 'tweet' を「さえずる」でなく敢えて「つぶやく」と超訳()したことが、タガを外すに一役買ったとは、つとに指摘されているが。
独り言でもさえずりでも、何と呼ぼうが〈インターネットにアクセスのある万人に公開された場で発言している〉実態は変わらない。そもそも、何のためにSNSで発信するのか、やはり読者の存在を想定しているはずだ。
燃やすなどは、する側が言語道断なのだが、投稿(ツイート/トゥート etc.)の際にも多くの人の目に触れることを常に念頭に置くべきだろう。