いやまあ、ここが変だよランフェス、って話はまあおくとして、往年の菩薩揚げはどうだったんだろうなあ、と気になったわけです。清(初期には明)からの貿易船は、お船の守り神として媽祖様を乗せていて、長崎に入港したら、自分の出身地担当の唐寺の天后堂に自分の船に乗せてた媽祖様をお預けする=菩薩揚げ。商売が成立して、本国に帰るときには、唐寺にお預けしていた媽祖様をお迎えしてからお船に一緒に乗って帰る。
で、崇福寺の天后堂の前に広くスペースがとってあるのは、菩薩揚げの際の儀式をするため、と、説明書きがあったので、どんな塩梅であったのかなあ、と。
先の写真の一枚目は、崇福寺の天后堂の媽祖様。天后、天上聖母、菩薩、どれも媽祖様のこと。
で、天后堂の両サイドに棚があって(先の投稿2枚目の写真)そこにお船に乗せてた媽祖様を預けていたということなんだな。なので貿易の繁忙期(?)には、その棚に何柱も媽祖様が並ぶことになったわけだ。
対聯や扁額はろくに読めんが、読めるようになりたいなあ。色々なところに書かれてあるものの、字面でなんとなく察せられるところは、当然のことではあるが、とにかくひたすら航海の安全を切実に祈るものであるようだ。だからこそ、唐人さんの商人さん方が大枚叩いて立派なお寺さんをそれぞれ(出身地域による)作ったわけだ。
…っていうのは、基礎中の基礎で、どこにでも書いていることだし、ずいぶん前から、一応知っていることではあるのだが。
媽祖様って、またその信仰って、どんなんだろう、と思って改めて見ると、航海の安全への切実な思いが、より、少しでもそれまでよりは、分かった気がしたんだな。
それを必要としたひと、信仰した人の存在が、より立体的に感じられるというかなぁ…こう…(ろくろのポーズの鳥
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