2020年8月26日、双葉駅前。17時を過ぎると駅前から人の姿は消え、静まり返る。この当時は誰一人住まない町だった。避難指示解除された今もほぼ状況は変わらない。
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2020年3月15日、双葉町長塚。特定復興再生拠点区域として立入が自由になった直後は、こんな風景があちこちに点在していた。2022年8月30日、避難指示解除。多くの家屋が解体されたが、今も放置された場所は多い。
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2020年3月13日、浪江町請戸。海のすぐそばに作られた減容化施設から、もくもくと煙が上がる。目の前では稲作が再開されており、ロケーションは最悪だ。
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2019年11月10日、浪江町川添。中上ノ原団地。地震で壊れた様子もなく、内陸で高台のこの場所には津波も来ない。原発事故がなければ、ここには震災前の暮らしが戻っていた。今は解体され、更地になっている。
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2020年3月6日、浪江町立苅野小学校。ここもやはり、体育館は避難した当時のままだった。2021年5月、東京五輪の直前に解体。
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2019年11月10日、浪江町権現堂。避難指示解除から2年半以上が過ぎても、浪江駅前にはまだまだこんな廃墟が残っていた。今は片っ端から解体され、駅東口では再開発計画も持ち上がっている。全てがなかったことにされる前に、記録していきたい。
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2020年6月8日、双葉町山田。帰還困難区域。道路上は除染されており、1.0μSv/h程度。しかしバリケードの脇に立つだけで、線量計は一気に3.0μSv/h程度まで上がる。尤も、このエリアではこれは低い数値だ。
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2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。黒い袋に詰め込まれたかつての福島県民の財産は、報道するだけで「風評加害」と罵られる。
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2020年3月15日、双葉町長塚。東電新双葉社宅。どの双葉町民よりもいち早く情報を得てすぐに逃げた人たちの家。2022年8月30日避難指示解除。
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2020年6月6日、双葉町新山。このクリーニング店はこの年の9月に解体された。この建物の写真をSNSにアップした朝日新聞記者が炎上したが、今はこの状態を描いたイラストレーションが双葉駅脇のステーションプラザふたばに展示されている。地元民の想いとSNSの自称福島県民の想いはかけ離れている。
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2019年11月10日、福島県立浪江高校。2017年3月休校。ここもいずれは解体され、何もなかったかのように更地になるのだろう。
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2019年8月1日、田村市都路。このフレコンバッグの仮置場は地元ゼネコンが非常に杜撰な状態で管理していた。この年の10月、台風19号が上陸、ここから僅か数百メートル離れた仮置場から、放射性廃棄物が大量に川に流出する事態となった。
この流出事件について環境省はすぐには事実を認めず、NHKもそれをそのまま垂れ流し、流出現場を目撃し最初にSNSで伝えた知人の朝日新聞記者は、国会議員や福島県議、政権寄りのジャーナリストなどから激しいバッシングに晒された。
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2020年6月7日、大熊町立大野幼稚園。かつてここに通っていた子どもたちは、今どこで何をしているだろう。「福島から避難してきました」そう言いづらい社会は、「先進国」といえるのだろうか。2022年11月解体。
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2020年10月25日、福島第一原発。ここからわずか4km先に原子力災害伝承館があり、そこにたくさんの子供たちが修学旅行で訪れる。双葉町民だった伝承館職員に「いつまた地震や津波が起きるかわからない。こんな原発のそばで働くことが怖くないですか」と問うと、「そりゃ怖いですよ」と表情を歪ませた。
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2020年6月8日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリアの海岸より、1km先の1Fを臨む。今もここからは大量の放射性物質が吐き出されている。
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2020年6月8日、双葉町山田。帰還困難区域。線量は最大15.28μSv/hまで上がった。「帰還困難区域があるのは防犯のため」という言説が出回っているが、それは嘘だ。
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2020年6月7日、大熊町野上諏訪。特定復興再生拠点区域(当時)から山麓線をずっと歩いていくとたどり着いた「ここまで帰還困難区域」の看板。改めて「帰還困難区域の中の特定復興再生拠点区域」であることを実感した。2022年6月30日、避難指示解除。今はもうこの看板も無くなったのだろうか。
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2020年3月15日、双葉町立双葉北小学校。震災から9年が過ぎたこの日も、卒業式の準備がされたままだった。2022年8月30日、避難指示解除。しかしこの学校が再開することはないだろう。
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2020年3月14日、大野駅。五輪延期決定前の聖火リレーに強引に間に合わせたかのような常磐線全通のこの日は、駅周辺の案内看板が非常にわかりづらく、メディア関係者でさえも立入禁止区域に入り込んでいた。
2022年6月30日、避難指示解除。大野駅周辺はフォローアップ除染が行われたものの、まだまだ多くの場所で高線量の場所が存在する。
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2020年3月15日、夜ノ森駅東口。ここは今も特定復興再生拠点区域で、立入は自由なものの、居住は禁止されている。毎年春になると桜まつりで賑わうが、祭りと廃墟のギャップに戸惑う人は多いのではないか。
現在はバリケードは撤去され、この家も解体され跡形もない。
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イラストレーター、絵本作家、介護福祉士。福島県双葉郡を主に徒歩で取材しています。延べ480km以上を踏破。東京新聞『見えない放射能を描く→https://note.com/niq/m/mad4aa8cf1bdc 絵本『いぬとふるさと』(SLA全国学校図書館協議会 小学校中学年の部選定図書/旬報社)→https://www.junposha.com/book/b557170.html