2020年6月6日、大熊町下野上原。双葉翔陽高校。線量は0.3〜1.0μSv/hほど。地震の影響もさほどなく、津波も勿論ここまでは到達していない。2017年3月休校。無念はいかばかりか。
2018年12月8日、富岡町小良ヶ浜。この道の向こうは帰還困難区域。この道は場所によって4.0μSv/hに迫る。かつてここは水田だった。600万かけて水を引いたというこの土地の主人は、「ここに子や孫は連れて来れない、俺の家は俺の代で終わり」と話す。
2022年11月の今も状況はあまり変わってない。
2020年10月25日、双葉町中野。産業交流センター。建物の向こうにはフレコンバッグの仮置場が見える。この目の前を、全国から訪れた子どもたちが走り抜ける姿はまさに異様だ。
2020年6月8日、双葉町前田。4階まで緑で覆われる前田団地。ここでは、防護服姿の住民と遭遇した(僕らも防護服姿)。荒れ果てた自宅に入るには、線量が低くとも防護服を着たくなる。しかし今は、スクリーニング場で配布される防護服を着るだけで「風評加害」呼ばわりされる異常な状態になっている。2022年3月解体。
2019年4月6日、浪江町川添。正西寺。境内は除染され、0.5μSv/hほど。しかしその前の通りには、高線量のホットスポットがある。
2020年6月7日、大熊町下野上清水。1.0μSv/h前後。常磐道近くのこの辺りでは、母娘らしき2人が土を耕していた。人は土と共に生きる。
2020年6月7日、大熊町下野上原。双葉翔陽高校。この高校出身の何人かの人から、過去に二度ほど感謝のメッセージを受け取っている。撮影出来てよかったと思う。2017年3月休校。
2020年6月6日、双葉町新山久保前。双葉厚生病院。周辺は1.5μSv/h前後。つい先日の東京新聞と友人による調査では16万bq/kg近い土壌汚染も見つかっている。駅から伝承館へは、この周辺を抜けていく。大人も子どもも。
2020年3月15日、双葉町長塚。まどか保育園。かつてここにいた子どもたちは、今は中学生か。中には避難したことが記憶にない子や、隠してる子がいるかもしれない。自分の故郷を隠さなくてはいけない社会を作ったのは大人たちだ。
2020年3月15日、双葉町長塚。まどか保育園。ここは双葉駅前でも特に線量が高いエリアの一つだった。この時でも園庭では4.0μSv/hを超える場所があったが、2021年2月に訪れた際は8.0μSv/h以上まで上がっていた。放射性物質が天候によりどこかから移動したものだと思われた。2022年3月解体。
2020年3月5日、浪江町高瀬。丈六公園。2017年3月に避難指示が解除された後も、ここは何年も荒れ果てたままだった。この当時1.0μSv/h以上あったが、整備されたという今はどうなっただろうか。
2020年10月25日、双葉町細谷熊ノ沢。帰還困難区域。ここはかつて水田だった。伝承館に行っても、そんなストーリーは見えてこない。
2018年5月12日、夜ノ森駅。当時は、このホームよりも東は帰還困難区域。今も、立入規制が緩和されたに過ぎない。
新しい夜ノ森駅のトイレは、この当時の駅舎を模して作られたもの。思い出のある駅舎がトイレとなり「馬鹿にしてるのか」と憤った人の声を聞いている。
2020年10月25日、双葉町細谷。中間貯蔵施設エリア。汚染水タンク等の建設のため伐採された木が積まれている。震災時は1000万〜6000万bq/kg汚染されていたといわれている。奥には6号機の建屋と排気筒が見える。
イラストレーター、絵本作家、介護福祉士。福島県双葉郡を主に徒歩で取材しています。延べ480km以上を踏破。東京新聞『見えない放射能を描く→https://note.com/niq/m/mad4aa8cf1bdc 絵本『いぬとふるさと』(SLA全国学校図書館協議会 小学校中学年の部選定図書/旬報社)→https://www.junposha.com/book/b557170.html