2018年12月8日、富岡町小浜。サッカー場が整備されグラウンドゴルフも出来る。現在は近くに大きなビジネスホテルも改築され新装オープンした。帰還困難区域は目と鼻の先で、線量は比較的高め。周辺には繁華街もなくコンビニもない。ここでは多くのイベントが開催され、ホテル代も決して安くはない。慣れるまでは混乱する。
2018年12月8日、富岡町小浜。2019年まではこの建物があったことは確認している。今はわからない。近くにはサッカー場があり、周囲は今も0.8μSv/h前後だが、様々なスポーツ大会が開催されている。当然、未成年者もそこでサッカーなどを行なう。「復興」の名の下に。
2020年6月8日、双葉町細谷。中間貯蔵施設エリア。福島県中から運ばれてくる大量の放射性廃棄物。施設の建設が追いつかず、完成しても全ては入りきらない。だから国は汚染土での栽培実験などを繰り返し、日本中への拡散を目論む。そうすれば、もし健康被害が起きても見えにくくなるから。
2020年3月6日、浪江町立苅野小学校。2021年6月解体。国は2021年3月までに解体にサインするよう町に迫り、卒業生たちの解体延期署名も空しく、東京五輪直前に解体された。
2018年5月12日、富岡駅前。この頃はまだ富岡駅前に大量のフレコンバッグが置かれていた。今はこの場所のみ放置され、朽ち果てている。
2020年6月8日、旧双葉町役場。原子力災害伝承館には、「原子力明るい未来のエネルギー」の文字盤のレプリカが展示されている。ではその文字盤がかかっていた支柱はどこにあるかといえば、旧役場の脇の空き地にブルーシートに包まれて放置されたままだ。
2020年8月26日、マリンハウスふたば。中間貯蔵施設エリア。取り壊されることもなく、ここはいずれ震災遺構として整備されるのだろうか。
2020年3月5日、浪江町酒井。帰還困難区域。ここは一切除染をせず、作業員は防護服を着て太陽光パネルの設置を行なった。ここの電気は東電に売電され、首都圏へ送られる。
2018年12月9日、浪江町酒井。帰還困難区域。今は太陽光パネルで辺り一面が覆われている。
2018年12月9日、浪江町高瀬。丈六公園。これまでに3度訪れているが、どれも荒れ果てたままで、空間線量も1μSv/h以上で、とても子供が遊べる場所ではなかった。今は整備されたと聞いているが、いったいどこまで除染されたのだろうか。
2019年4月7日、富岡第二中学。体育館の中は震災直後のまま、しかし校庭では桜まつりに興じていた。2020年6月解体。
2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。福島県中の除染で出た汚染土がここに運ばれてくる。ここを見せた方がよほど伝承になる。
2019年4月7日、富岡町新夜ノ森。この当時はこの先はまだ帰還困難区域。しかし桜の話題ばかりで、このことに触れるメディアは少なかった。
2019年4月6日、浪江町谷津田。2020年3月にはこの仮置場から中間貯蔵施設へのフレコンバッグの移動が始まっていた。今はただの更地になっている。
2019年4月6日、浪江町立大堀幼稚園。2020年7月に行われた見学会には、コロナ禍であったために一握りの卒園生しか参加できなかった。2021年解体。
2018年12月8日、富岡町小浜中央。福島県立富岡高校。バドミントンの桃田賢斗も輩出した名門校も、2017年3月に休校となった。
イラストレーター、絵本作家、介護福祉士。福島県双葉郡を主に徒歩で取材しています。延べ480km以上を踏破。東京新聞『見えない放射能を描く→https://note.com/niq/m/mad4aa8cf1bdc 絵本『いぬとふるさと』(SLA全国学校図書館協議会 小学校中学年の部選定図書/旬報社)→https://www.junposha.com/book/b557170.html