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2019年4月6日、浪江町谷津田。2020年3月にはこの仮置場から中間貯蔵施設へのフレコンバッグの移動が始まっていた。今はただの更地になっている。

2019年4月6日、浪江町立大堀幼稚園。2020年7月に行われた見学会には、コロナ禍であったために一握りの卒園生しか参加できなかった。2021年解体。

2020年3月13日、浪江町請戸。マリンパークなみえ。2021年、東京五輪の直前に解体。

2018年12月8日、富岡町小浜中央。福島県立富岡高校。バドミントンの桃田賢斗も輩出した名門校も、2017年3月に休校となった。

2018年10月21日、浪江町川添。中上ノ原団地。今は解体され、更地となった。跡形もない。

2020年6月6日、大熊町下野上原。双葉翔陽高校。線量は0.3〜1.0μSv/hほど。地震の影響もさほどなく、津波も勿論ここまでは到達していない。2017年3月休校。無念はいかばかりか。

2018年12月8日、富岡町小良ヶ浜。この道の向こうは帰還困難区域。この道は場所によって4.0μSv/hに迫る。かつてここは水田だった。600万かけて水を引いたというこの土地の主人は、「ここに子や孫は連れて来れない、俺の家は俺の代で終わり」と話す。

2022年11月の今も状況はあまり変わってない。

2020年10月25日、双葉町中野。産業交流センター。建物の向こうにはフレコンバッグの仮置場が見える。この目の前を、全国から訪れた子どもたちが走り抜ける姿はまさに異様だ。

2020年6月8日、双葉町前田。4階まで緑で覆われる前田団地。ここでは、防護服姿の住民と遭遇した(僕らも防護服姿)。荒れ果てた自宅に入るには、線量が低くとも防護服を着たくなる。しかし今は、スクリーニング場で配布される防護服を着るだけで「風評加害」呼ばわりされる異常な状態になっている。2022年3月解体。

2019年4月6日、浪江町川添。正西寺。境内は除染され、0.5μSv/hほど。しかしその前の通りには、高線量のホットスポットがある。

2020年6月7日、大熊町下野上清水。1.0μSv/h前後。常磐道近くのこの辺りでは、母娘らしき2人が土を耕していた。人は土と共に生きる。

2020年6月7日、大熊町下野上原。双葉翔陽高校。この高校出身の何人かの人から、過去に二度ほど感謝のメッセージを受け取っている。撮影出来てよかったと思う。2017年3月休校。

2020年6月6日、双葉町新山久保前。双葉厚生病院。周辺は1.5μSv/h前後。つい先日の東京新聞と友人による調査では16万bq/kg近い土壌汚染も見つかっている。駅から伝承館へは、この周辺を抜けていく。大人も子どもも。

2020年3月15日、双葉町長塚。まどか保育園。かつてここにいた子どもたちは、今は中学生か。中には避難したことが記憶にない子や、隠してる子がいるかもしれない。自分の故郷を隠さなくてはいけない社会を作ったのは大人たちだ。

2020年10月25日、双葉町中野。原子力災害伝承館のすぐそばには、今も津波で破壊された車や家屋がわずかではあるが残されている。

2018年10月21日、浪江町川添。國玉神社。今はもう解体され、新しい社が建っている。

2020年3月15日、双葉町長塚。まどか保育園。ここは双葉駅前でも特に線量が高いエリアの一つだった。この時でも園庭では4.0μSv/hを超える場所があったが、2021年2月に訪れた際は8.0μSv/h以上まで上がっていた。放射性物質が天候によりどこかから移動したものだと思われた。2022年3月解体。

2019年4月5日、富岡町本岡本町。富岡クリニック。今は解体され、ここには小さな居酒屋が建っている。

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