2020年8月26日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。フレコンバッグの向こうの誰も住まない家が解体を待つ。
2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。この先の住居の持ち主は、頑なに東電による片付けを拒否しているという。自然に倒れた竹が、まるでバリケードのようだ。
2019年8月1日、葛尾村葛尾野行。帰還困難区域。炎天下でも作業員はしっかりと防護しながら除染に臨む。マスクをつけ内部被曝を避け、積算線量計で被曝量を管理しながら。しかし日本政府や「放射能安全」な輩は、内部被曝は存在しないものとして「科学」を騙る。
2022年6月12日避難指示解除。
2018年10月20日、請戸漁港よりマリンハウスふたばと福島第一原発を臨む。東電下請け勤務を公言しているアカウントが「請戸にはよく釣りに行く」とした上で「請戸から1Fは見えない」と書いていたが、あれは嘘だ。
2018年12月8日、富岡町小浜。サッカー場が整備されグラウンドゴルフも出来る。現在は近くに大きなビジネスホテルも改築され新装オープンした。帰還困難区域は目と鼻の先で、線量は比較的高め。周辺には繁華街もなくコンビニもない。ここでは多くのイベントが開催され、ホテル代も決して安くはない。慣れるまでは混乱する。
2018年12月8日、富岡町小浜。2019年まではこの建物があったことは確認している。今はわからない。近くにはサッカー場があり、周囲は今も0.8μSv/h前後だが、様々なスポーツ大会が開催されている。当然、未成年者もそこでサッカーなどを行なう。「復興」の名の下に。
2020年6月8日、双葉町細谷。中間貯蔵施設エリア。福島県中から運ばれてくる大量の放射性廃棄物。施設の建設が追いつかず、完成しても全ては入りきらない。だから国は汚染土での栽培実験などを繰り返し、日本中への拡散を目論む。そうすれば、もし健康被害が起きても見えにくくなるから。
2020年3月6日、浪江町立苅野小学校。2021年6月解体。国は2021年3月までに解体にサインするよう町に迫り、卒業生たちの解体延期署名も空しく、東京五輪直前に解体された。
2018年5月12日、富岡駅前。この頃はまだ富岡駅前に大量のフレコンバッグが置かれていた。今はこの場所のみ放置され、朽ち果てている。
2020年6月8日、旧双葉町役場。原子力災害伝承館には、「原子力明るい未来のエネルギー」の文字盤のレプリカが展示されている。ではその文字盤がかかっていた支柱はどこにあるかといえば、旧役場の脇の空き地にブルーシートに包まれて放置されたままだ。
2020年8月26日、マリンハウスふたば。中間貯蔵施設エリア。取り壊されることもなく、ここはいずれ震災遺構として整備されるのだろうか。
2020年3月5日、浪江町酒井。帰還困難区域。ここは一切除染をせず、作業員は防護服を着て太陽光パネルの設置を行なった。ここの電気は東電に売電され、首都圏へ送られる。
2018年12月9日、浪江町酒井。帰還困難区域。今は太陽光パネルで辺り一面が覆われている。
2018年12月9日、浪江町高瀬。丈六公園。これまでに3度訪れているが、どれも荒れ果てたままで、空間線量も1μSv/h以上で、とても子供が遊べる場所ではなかった。今は整備されたと聞いているが、いったいどこまで除染されたのだろうか。
2019年4月7日、富岡第二中学。体育館の中は震災直後のまま、しかし校庭では桜まつりに興じていた。2020年6月解体。
2020年10月25日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリア。福島県中の除染で出た汚染土がここに運ばれてくる。ここを見せた方がよほど伝承になる。
2019年4月7日、富岡町新夜ノ森。この当時はこの先はまだ帰還困難区域。しかし桜の話題ばかりで、このことに触れるメディアは少なかった。
イラストレーター、絵本作家、介護福祉士。福島県双葉郡を主に徒歩で取材しています。延べ480km以上を踏破。東京新聞『見えない放射能を描く→https://note.com/niq/m/mad4aa8cf1bdc 絵本『いぬとふるさと』(SLA全国学校図書館協議会 小学校中学年の部選定図書/旬報社)→https://www.junposha.com/book/b557170.html