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2019年8月1日、田村市都路。このフレコンバッグの仮置場は地元ゼネコンが非常に杜撰な状態で管理していた。この年の10月、台風19号が上陸、ここから僅か数百メートル離れた仮置場から、放射性廃棄物が大量に川に流出する事態となった。

この流出事件について環境省はすぐには事実を認めず、NHKもそれをそのまま垂れ流し、流出現場を目撃し最初にSNSで伝えた知人の朝日新聞記者は、国会議員や福島県議、政権寄りのジャーナリストなどから激しいバッシングに晒された。

2020年6月7日、大熊町立大野幼稚園。かつてここに通っていた子どもたちは、今どこで何をしているだろう。「福島から避難してきました」そう言いづらい社会は、「先進国」といえるのだろうか。2022年11月解体。

2020年10月25日、福島第一原発。ここからわずか4km先に原子力災害伝承館があり、そこにたくさんの子供たちが修学旅行で訪れる。双葉町民だった伝承館職員に「いつまた地震や津波が起きるかわからない。こんな原発のそばで働くことが怖くないですか」と問うと、「そりゃ怖いですよ」と表情を歪ませた。

2020年6月8日、双葉町郡山。中間貯蔵施設エリアの海岸より、1km先の1Fを臨む。今もここからは大量の放射性物質が吐き出されている。

2020年6月8日、双葉町山田。帰還困難区域。線量は最大15.28μSv/hまで上がった。「帰還困難区域があるのは防犯のため」という言説が出回っているが、それは嘘だ。

2020年6月7日、大熊町野上諏訪。特定復興再生拠点区域(当時)から山麓線をずっと歩いていくとたどり着いた「ここまで帰還困難区域」の看板。改めて「帰還困難区域の中の特定復興再生拠点区域」であることを実感した。2022年6月30日、避難指示解除。今はもうこの看板も無くなったのだろうか。

2020年3月15日、双葉町立双葉北小学校。震災から9年が過ぎたこの日も、卒業式の準備がされたままだった。2022年8月30日、避難指示解除。しかしこの学校が再開することはないだろう。

2020年3月14日、大野駅。五輪延期決定前の聖火リレーに強引に間に合わせたかのような常磐線全通のこの日は、駅周辺の案内看板が非常にわかりづらく、メディア関係者でさえも立入禁止区域に入り込んでいた。

2022年6月30日、避難指示解除。大野駅周辺はフォローアップ除染が行われたものの、まだまだ多くの場所で高線量の場所が存在する。

2020年3月15日、夜ノ森駅東口。ここは今も特定復興再生拠点区域で、立入は自由なものの、居住は禁止されている。毎年春になると桜まつりで賑わうが、祭りと廃墟のギャップに戸惑う人は多いのではないか。

現在はバリケードは撤去され、この家も解体され跡形もない。

2020年6月7日、大熊町下野上大野。敷地内の空間線量は3μSv/hに迫るほどだった。2022年6月30日避難指示解除。11月5日時点では若干線量は下がったものの、店舗も車もそのままだった。

2020年6月7日、大熊町野上秋葉台。当時1.5〜2.5μSv/h。2022年6月30日、避難指示解除。11月5日に再び歩いたところ、0.8〜2.0μSv/hほど。フォローアップ除染された箇所もあれば、自然減衰しただけと思われる場所もある。

2020年10月25日、双葉町両竹。フレコンバッグの脇で、ここでも稲作の実証実験が行われた。農家を置き去りに、農政局と役場が突っ走って。果たしてこれは復興か。

2020年6月7日、大熊町下野上金谷平。荒れ果てた農地の先に震災直後から残された軽トラック。緑に溢れた風景の中で線量計が鳴り響く。2.45μSv/h。2022年6月30日、避難指示解除。

2020年6月8日、双葉町長塚越田。白山神社。この神社がある小山の周辺は今も非常に放射線量が高い。この当時は5.0μSv/hを超える場所がいくつもあった。2022年8月30日、避難指示解除。ここのフォローアップ除染は、果てしなく続くことだろう。

2019年11月10日、浪江町川添。南上ノ原団地。今は解体され更地となっている。周囲には帰還、移住してきた世帯もあるが、ここは今も夜になると真っ暗で人通りは一切ない。

2020年6月6日、双葉町青年婦人会館。モニタリングポストの数値は1.382μSv/h。駐車されている車はどれも震災直後のまま。

2022年8月30日、避難指示解除。しかしここのモニポは今も1.0μSv/h以上で、車もそのままだ。すぐ近くには122万bq/kg以上に汚染された場所がある。

2020年8月26日、双葉町細谷熊ノ沢。帰還困難区域。原子力災害伝承館と産業交流センターが出来てから、駅前にはレンタサイクルが整備されシャトルバスが稼働し数万人が訪れまるで観光地のようだが、実際には多くのエリアが帰還困難区域であり、一部の避難指示解除後もインフラの整備は乏しく、住む人はほんのわずかだ。

2020年8月26日、浪江町大堀。帰還困難区域。わずか2.4%といわれる帰還困難区域にも、故郷がある。その土地と人の小さな声を拾い伝え続けていかなければ。

2019年11月9日、浪江町北幾世橋荒井前。鮭の孵化場。2020年3月解体。震災前の姿は跡形もなく解体され、かつての住民の知らない町が出来上がる。果たしてこれは復興か。

2020年3月6日、浪江町加倉。避難指示は解除され、周辺には帰還している人もいる。原発事故被害者はいろんなものを天秤にかけながら常に選択を迫られてきた。そしてその選択が正しかったのか、常に自問自答を強いられてもいる。

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