他にアングラ・小劇場を代表する劇団としては、佐藤信の「黒テント」、寺山修司の「天井桟敷」、鈴木忠の「早稲田小劇場」などがある。
アングラ・小劇場の特徴としては「身体」のパフォーマンスと「近代」批判としての「土俗性」の再評価が際立っている。「民俗学」のエピソード、それに「巫女性」(白石佳代子など)もそれに関連して重視されます。
こうした文脈に、アルトーの「引き裂かれる身体」やバタイユの「禁止と侵犯」、「蕩尽」、「非ー知」、あるいはフーコーの「華々しき身体刑」などの語彙が・・いささか乱暴なかたちではあれ・・投げ込まれていた。逆に「他者」との関係を切り捨てていくブランショはまず引用されない。
ただし、私が会った演劇関係者でフーコーの『監獄の誕生』を日本語訳ででも最後まで通読している人はいませんでしたが・・・ですから「華々しき身体刑」から話が進まない。
もちろん、研究者ではないのですから、それでいいと言えばいいのですが・・・
とは言え、70年代前半までは、このようなアングラ・小劇場的なものが一定程度「リアリティ」をもって受容される基盤があった。
しかし、先日の投稿、「フォークロア」から「サブ・カルチャーへ」で書いたように70年代前半には、日本の「フォークロア」的な世界はほぼ消失。
戦後演劇史
1960年代半ば大ヒットしたが、「在日」の問題をとりあげたために、急遽打ち切られた「若者たち」などは、ほとんど「俳優座」のドラマといってもいいくらい。若き日の原田芳雄も出ていてなかなかに興味深い。
しかし、60年安保後、安保の顛末を「ボス交」の取引き、と見る視点から福田善之が1963年に『真田風雲録』を発表したあたりから、「新劇」から「アングラ・小劇場」へのヘゲモニーの移行がはじまる。
先に挙げた原田、西村、中村、市原は「俳優座」から1971年に退団。この原田を「師」と仰いだのが松田優作であり、原田、林隆三(俳優座)、藤竜也などが登場する「友よ、静かに眠れ」を撮ったのが崔洋一です。そして崔洋一の師、大島渚が「御法度」で優作の息子、龍平を抜擢しているわけですから、いろいろと繋がっていますね―
また1963年には唐十郎が唐組・状況劇場を設立して記念公演にサルトルの「恭しき娼婦」を上演します。そして、1969年には「新宿西口」付近にてゲリラ的に公演を敢行、機動隊に追いかけ回されながらも、とりあえず公演を終了。このパフォーマンスで「紅テント」は一躍「カウンター・カルチャー」の旗手となります。俳優としては根津甚八、小林薫、佐野史郎、それに唐十郎の妻(現在は離婚)李鳳仙などがいます。
「新劇」と「アングラ・小劇場」、そして「ポスト・モダニズム」の消費社会へ
10代後半から30代の間、15年ほど「近代演劇史」に関心があり、かなり上演に通ったり、戯曲を読んだりした時期があった。
その際もった感想の一つは、「新劇」と「アングラ・小劇場」の関係は、ほぼ綺麗に「戦後民主主義」と「新左翼」の関係に相似している、ということ。
これは「演劇」というジャンルがそもそも「政治」と「宗教」に隣接していることとも関係があるだろう。
しかし、日本の戦後演劇の場合、それにとどまらない戦後運動史との類似性がある。
たとえば、民芸(宇野重吉)や俳優座(千田是也・滝沢修・東野栄治郎)は、共産党や社会党といった政党・運動と全く無関係、というわけでもなかったが、「戦前」の「政治」への従属に懲りて、一定の距離をとっていた。
そして、「逆コース」に対して黒沢明など映画関係者とともに抵抗し、60年安保でも「安保に反対する演劇人の会」などで目立った動きとして注目されていた。
またある時期までは戦後の映画、とくにテレビドラマのキャストも、「新劇」関係者からリクルートされていた。例えば「民芸」の吉行和子、「俳優座」の加藤剛、西村晃、原田芳雄、中村敦夫、市原悦子などなど。
「松川るいの消費税20%論」
先日のフランス旅行について、今井絵理子議員は、「内政の失敗は内閣を滅ぼすが、外交の失敗は一国を滅ぼす」と主張したらしい。つまり外交研修のためにフランス旅行に税金で行ったということだ。
それは真に筋が通っているが、欧州外交の「見聞」についてぜひ「説明責任」を果たしてほしい。
ところで、松川るいのフランスへのこだわりは「消費税19,6%、これを見習って日本も着実に上げていくべき」という所にあるようだ。
しかし、フランスの消費税、食料などの食料など生活必需品、電気・ガス、それに文化関係は5%以下の軽減税率。
また法人税は25%と日本より高く、課税ベースも日本より広い。また企業の社会保険料の負担も日本より大きい。
またフランスでは教育費は大学まで基本無料。グランゼコールでは給料が出る。
また安価な公共住宅は日本の比にならない程多い。
あれやこれやで、今や仏は日本よりはるかに格差の小さい国。
逆に日本は税と社会保険による国家の再配分によって格差が広がるOECD唯一の国。
この状態で消費税20%に向けてフランスをだしにするとはいい度胸ではある。
仮にも「自由・平等・友愛」の国が建前の国で、こんなことを言い出したら、革命が起こるだろう。
『國語元年』。
こまつ座の舞台も(テレビで)見たし戯曲も読んだけど、どっちもおもしろいです。
「国語」を立ち上げるということの暴力性を作品化する、という発想がまず、おもしろいんですよね。
「国語」は、いろんな言葉をしゃべっていた日本各地の、元々は誰の言葉でもなかった人工的な創造物であったということ。
その暴力性のなかで苦心して作った誰かがいたということ。
(そして、その作り上げられたものが植民地など、やまと以外のひとたちに押しつけられた「日本語」になった)。
そこにあって当然だと思っていたものがそうではなかったのだということをあらためて突きつけられると、当然視していた自身の「暴力性」に、はっとします。
(一応、作者が配偶者に対する暴力の人だった、とかそういうツッコミの余地はあるわけですが)。
「国民全体の戦う覚悟?」
麻生太郎の@台湾での対中国への「戦争の覚悟」発言、あるいは老人性認知症に由来するのか、と思ったけれども、自民党政調副会長が「政府内で調整した結果」と公式に認めました。
その際、鈴木自民税調副会長は「「戦う覚悟」が国民全体でできていなければ張り子の虎になる」と発言。
いやはや、「中国と対決する」とぶち上げる君らが「張り子の虎」ならぬ「猫」でしかないの!いや、これは「猫」に失礼か。
大体、米国が中国と軍事的に対決する気がないのは、近時のブリンケンの中国訪問で分かったでしょ!
もう少し外交的軍事的に言えば、米国は日本を守るために中国と戦略核戦争をするつもりはない。
残念ながら米支配層にとっても国民にとっても日本は「外人」。欧州はやはり米国民のルーツから言っても「内輪」。
米国民に占めるアジア系の割合やハリウッドの「アジア系」の描写を見れば、一目瞭然である。
政府としても最後は米国民を守るのが義務。日本のために米本土への核攻撃を許容するつもりは毛頭ない。
であるから、日本は「米国の核の傘」に守られている、というのは全くの幻想。
日本の安全は隣の大国中国・ロシア、それに東アジア、東南アジア、勿論米国に対する平和外交によってはじめて保障される。
「フォークロアからサブカルチャーへ」下
さらに問題は、デリダの名を騙った東浩紀がこうしたサブ・カルチャーの「ミソジニー」・「マジョリティ」擁護を完全に共有しながら、天皇制を擁護し、そして現在では「投票棄権」を・・・自民党の側面援助として・・・呼びかけるまでに至っていることに象徴されるように、「思想」・「批評」、そして「文化産業」の世界全体において、もはや批判的な態度が消え失せていることであるように思われます。
このような「思想」、そして「社会学」(とくに東大理論系)(本来、人文系と社会科学系の接点になる筈。海外では通常「左派」のジャンル)における「批判精神」の欠如についてはまた改めて、ということで。
「フォークロアからサブカルチャーへ」中・6
従ってプレスリーのコンサートの映像や当時のプレスリーの模倣をする若者風俗を描いた映画をご覧になった方はご記憶だと思いますが、そこには白人しか登場しません.
近年、ロック、歌謡曲(松任谷由美、長渕剛)、ライトノベル、SF、などの各分野における著名人が極右的メッセージ、「女性」に対する憎悪(ミソジニー)、マイノリティ差別などなどを、「同時多発的」に発信しているのは、日本の「サブ・カルチャー」の「支配文化」への従属を赤裸々に証し出しているとは言えないでしょうか?
またアニメにおける手塚、高畑から安彦までのいわば「カウンター・カルチャー」的な要素を含み持った世代が現役を去り、廣野秀明が「エヴァンゲリオン」の非歴史的・非社会的な「心理主義」から体制側の危機管理へと移行したのは偶然でしょうか?
ちなみに漫画は「ハンド・メイク」な要素を残したジャンル、そして皮肉なことに「文字情報」を多く掲載するジャンルでもある故からか、今のところ「例外」がかなり存在すると思われます。
「フォークロアからサブカルチャーへ」中・5
ここで、1950年代くらいまで残存していた「フォークロア」的なものに戻ると、これは高度経済成長時代に急速に解体され、1970年代後半には、広告産業と結びついた「サブカルチャー」へと転化していった、というのが現在の私の見立てです。
そして日本の「サブ・カルチャー」は・・・例外はあるものの・・・概ね「フォークロア」がもっていた「自立性」も喪失し、消費社会の浸透の中で広告産業・音楽産業の主導のもとに再編されていったと考えられます。
この点、たとえばリズム&ブルース、ジャズ、レゲエ、ラップなどが「黒人コミュニティ」に根差した「カウンター・カルチャー」としての性格を強く帯びていたことと対照的です。
そして、高度(後期)資本主義社会のなかでは、ラップの創始者たちさえ、「今や、ラップは商業化され、原点を見失った」と嘆くまでになっている。それほど資本主義の「包摂力」は強力です。
ちなみに日本でR&Bと言われるのは、黒人音楽「リズム&ブルース」のことであって、E.プレスリーの「ロック」はこの「リズム&ブルース」を消費社会突入初期の白人中産階級の青少年用にマイルドにアレンジしたもの。
「フォークロアからサブカルチャーへ」中・5
さて、「フォークロア」に戻ると、ここに「反体制」的・「カウンター・カルチャー」的なものを読み込むのはやはり無理があります。これはかつて幕藩体制下の「百姓一揆」に「反体制的」な「階級闘争」を読むこもうとした試みが、「実証」研究が進むにつれ覆されていったことと相似的である、とも言えるでしょう。
しかし、近世の「村」が明治以降の「農村」と比較すると相対的に「自治」が機能している単位であったことと相似的に「フォークロア」は支配者の文化からは「自律した文化」として機能していたことは間違いありません。
この点は、フランスの「アナ―ル学派」の「民衆文化」論が明らかにした、近代以前の「民衆文化」の在り方と明らかに比較可能な現象であった、と言えましょう。
また、英国のE.P.トムソンなどが研究した資本主義文化の浸透に一定程度ブレーキをかけていた「モラル・エコノミー」についても、比較可能ではあります。
ただ、ヨーロッパと比較した場合、近世日本の「モラル・エコノミー」は明らかに脆弱なものでした。それだけ、江戸時代の日本にはすでに「市場経済」が浸透し、「資本主義のエートス」を準備する、「プロテスタンティズムの倫理」ならぬ「通俗道徳」が普及していたのです。
「フォークロアからサブカルチャーへ」中・4
また上田は関東大震災の際の朝鮮人虐殺を批判した折口も「朝鮮」という他者と、「ついに出会うことはなく」、自身の歴史学の構築の際、このことを強く意識した、と述べています。
上田正昭と比較すると、ほぼ同世代の東大の井上光貞は、いわゆる「任那日本府」・「帰化人」の概念設定・記述など、そして根本的には「朝鮮」という他者との出会い方において、大きく後れをとっていた、と現在からは評価できるでしょう。これは井上光貞が維新の元勲井上馨(日清戦争中の朝鮮公使)、桂太郎の孫であったということと多少は関係するかもしれません。
ただし、井上光貞は、「征服王朝」論を「否定する」だけの根拠はなく、むしろ北九州からの応神による畿内征服をヤマト(倭)王朝のはじまり、と解釈すれば、歴史学の「実証」成果と矛盾しないとしていました。
この点、以前批判した東大の大津透などは、指導教官井上光貞を持ち上げながら、上田や直木孝次郎の王朝交代論(河内王朝論)をただ、「理解に苦しむ」や「違和感を感じる」と片づけるだけであって、挙句の果てが「歴史学」は「天皇の即位儀礼」への「国民」の関心に応える「責務」がある、ですから「語るに落ちた」とはこのことです。
「フォークロアからサブカルチャーへ」中・3
それに対して、先に挙げた「贄前さん」、「海民」、「山伏」などの移動・漂泊する民は、一応中世までは「存在様式」が遡れる、と推定されます。ここに、網野善彦が「民俗学」へと接近した文脈が理解できるとも言えるでしょう。
ちなみに折口信夫の「民俗学」は、「文献資料」、「実証主義」を一切否定し、・・・その意味で本居宣長の「文献学」的実証主義も批判する・・・「神に憑依された」読者(折口)と「バイブル」記紀との対話の中で「国家神学」を構築せんとする投企であって、柳田の方法論とはかなり異なります。
従って「歴史学」と折口の間には通常接点がありません。逆に文学研究や批評の世界で折口は、ある程度重視されてきたと言えるでしょう。
ただ、以前に少し紹介した、日朝関係を重視した古代史家上田正昭(歴史学において「帰化人」を「渡来人」へと変更させるのに大きな役割を果した。高麗美術館館長も務める)は興味深い例外です。
上田は自身神職でもあり、国学院大学専門部在学中折口に師事し、ゲイであった折口の、若き愛人の一人でもありながら、訣別して京大文学部史学科に入学。
方法的に言語学・神話学・考古学などを応用し、朝鮮半島との関係をクローズアップした「古代史」を構想しました。
「フォークロアからサブカルチャーへ」中・2
その意味では、戦後の「社会構成史」の問題設定による荘園制の研究へのある時期までの集中特化は、「支配」・「収奪」の様相を明らかにしよう、とするそれ自体としては非常に重要なものであったと評価できます。
その結果、中世「荘園制」といっても初期荘園と後期の「寄進地」系の荘園の差異、そして「律令体制」との妥協としての「荘園・公領制」の成立など、より緻密なストーリーが「実証的に」明らかにされていったわけです。
しかし、この「荘園制」への「社会経済史」的アプローチでさえ、近世以前の「民衆の生活」の具体的な様相を明らかにすることは出来ませんでした。理由は単純で資料が圧倒的に不足しているのです。
柳田国男・折口信夫などの「民俗学」は「文献資料」に依拠した「歴史学」を批判し、前者は「民間の口承伝承」などをかなりシステマティックに収集しますが、この「民間の口承伝承」はほとんどの場合、「近世」以前には遡及できません。
いわゆる「村の古老」の伝承は「村」を前提としますが、日本の「村」のほとんどはそれこそ「応仁の乱」以後に成立した「歴史的」なものだからです。「近世」に大量に出てくる「村方文書」などはさらに時代を下ります。
「フォークロアからサブカルチャーへ」 (中)
二つの画期とは「応仁の乱」前後と高度経済成長です。
高度経済成長については、説明は不要でしょう。
「応仁の乱」前後、というのは、この頃から牛馬耕の普及によって、灌漑農業以外に、森林地帯の開墾が大規模に可能になり、また農業生産性が飛躍的に向上したために、「百姓」の「農民化」が急激に進み、「惣村」という単位に定住する人口が増大したことによるものと思われます。
また、漂白の民や特定の産業に従事するグループへの「差別」がせり上げってくるのもこの頃から。網野善彦が「近世」以前の「百姓」は「農民」ではなかった、そして「被差別」という現象を中世末期から、という点を強調するのも、この点と関わります。
とは言え、「応仁の乱」より前の具体的な「民衆の生活様式」については、断片的な資料以外からはほとんどわからない。
従って、応仁の乱以前の日本史の記述は、古代の考古学・中国史書、記紀と六国史はほぼすべて「支配者」側の、しかも「断片的」な資料に基づいたものになる。摂関時代は高級貴族の日記、そして平安末期の画像資料としての絵巻物も、「源氏物語絵巻」などの宮廷」物、「前九年合戦絵巻」(200年後の後白河院政期に描かれた)、ともに支配者上層を描いたものとなります。
フォークロアからサブカルチャーへ―「民衆」文化から新自由主義消費社会への包摂へ(上)
少し前に、「曽我物語」と漂泊する「贄前さん」の語りについて書いたのですが、振り返って見ると、近世、部分的には中世から続いてきた「フォークロア」的なものは、ほぼ1950年代末に消滅し、漂白する「贄前さん」や瀬戸内の「海民」(生涯を海の上で暮らす人々、東南アジアでは現在でも少数ながら残っている)のような例外的な人々も1970年代頭までにはほぼ姿を消したと言ってよいでしょう。
演歌歌手の藤圭子の母は「贄前さん」であり、娘が宇多田ヒカルなので、ある意味このタイトルの「フォークロアからサブカルチャーへ」の移行を体現している、ということになるかもしれません。
私自身の記憶を遡っても、祖父母(1910年代生まれ)、曾祖父母(19世紀生まれ)の家を子供の頃訪ねたたり、話を聞いたりした折には、たしかに「フォークロア」的な「世界」がまだ残存していましたし、逆に彼らは「サブ・カルチャー」的なものとはまったく無縁でした。
おそらく私の親(1944年生)の世代が、この両者のはざまを生きた、ということになる。
これは、いわゆる日本史における「民衆の生活様式」の2つの画期に対応していると思われます。
amazonプライムのいくつかの「登録チャンネル」の
「最初の2ヶ月は月額50円」キャンペーン。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/storefront?ie=UTF8&merchId=sub_promotion
甲午農民戦争を扱った
#韓国ドラマ「#緑豆の花」
https://www.amazon.co.jp/dp/B08RGSX9P2
を配信中の「アジアPremium」もキャンペーン対象みたい。
「アジアPremium」の現在の配信内容をざっと見たところ、
ドラマ「#砂時計」
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0BZ4DNFHX/
もはいっていました。
「砂時計」は
#韓国映画「#ペパーミントキャンディー」(通常のamazonプライム見放題対象)
https://www.amazon.co.jp/dp/B08D2RY7M1
などと同じく
軍政期の韓国を描いたドラマです。
(これらを見ておくと、#韓国現代史 の本が読みやすくなります)。
あと、個人的には
ずっと見たかった
#台湾映画「#スーパーシチズン 超級大国民」
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B65KT9GM/
が配信中なので、見たいです。(未見)
※登録したら、アカウント&リストの「メンバーシップおよび購読 」というところで、自動更新をオフに設定しておくといいと思います。
久しぶりにタクシーに。小泉時代のタクシー規制改革から約20年、運転手さんは、この間どれだけタクシー運転手の自殺数が上がったのか、タクシー台数の増加(規制緩和ゆえ当然に見越せた)に対して、行政・警察が「ヤクザと同じやり方で」街からタクシーを排除したかを事細かく聞く。人間扱いされてないと。
規制緩和以後、街の各駅前で、客待ちのタクシー数が2010年前後か延々と並んでいた時代。運転手には歩合給しかない。これで「自分も月10万円収入が減りました」。自殺は「ローン払えない運転手が大量に出て」。
渋滞が問題化し始めると、 行政は車止めの樽などをあちこちにおき、客待ちできないように邪魔をする。
警察官は頻繁に客待ちのタクシーを巡回。窓から一台一台点検して、運転手がシートベルトにクリップをつけて浮かせているのを見ると(一日中ベルトを着けると肩から胸に傷が出るので、多くが対策のためにこうしている)、違反切符を切る。
挙げ句には、各タクシー会社に3割タクシー数を廃棄せよと命令。「私も文面見ましたけどヤクザと同じでした。3割捨てろって、でもこれ会社の私有財産ですよね?あれにはわれわれ社員もなんというか…」。
「自由競争になれば価格も安くなって国民は喜んだでしょうがね。。前からこれで働いてきた者には理不尽でした」
連合の芳野会長、続投で調整 10月に任期満了、2期目へ | 2023/8/10 - 共同通信 https://nordot.app/1062150422853747576?c=39550187727945729
連合会長に就任してから、何をしてきましたか。
第2経団連だと思います。
「あくまで核融合発電に固執する政府・日経」
今日も日経は一面全部を使って「核融合発電」の夢を語っている。
「カーボンゼロ」と「燃料無尽蔵」を謳うが、太陽上での核融合の際より、はるかに高い1億度以上の過熱によって「地上の太陽」を作り出すと言う。
しかし、この「核融合発電」1970年代、つまり50年前から「次のエネルギーとして語れらているが、一向に「実用化」の目途が立たない。
今年日本政府は「核融合の早期実用化を目指す戦略を策定」、キャンペーンにこれ、いそんしんでいる。
しかし、この計画、核融合関係以外の物理学者は「実用化は無理で担当科学技術者の夢と自己満足」と見ている人が多いとされる。
今日も日経記事でも文章の最後まで来ると、中性子を封じ込める素材と技術の欠如には触れていないが、「技術とコスト」に関しては弱気である。
政府は今までつぎこんだコストが無駄になるといっているが、本末転倒ではないだろうか?
自民・二階氏「国家の威信にかけて成功させる」大阪・関西万博
いやはや、麻生の中国相手の「戦争の覚悟」の次は、二階の「国家の威信」にかけて「大阪万博の成功」とは・・・もう「国家と維新」になりかけているのでは?
共に財政的に見れば、一般市民から徴収した税を軍事費・万博につぎ込むことを意味する。
軍事費では軍需産業、万博ではゼネコンが受益者となる。
他方、上野の科学博物館は予算が足りず「クラウド・ファウンディング」。こっちの方が「国家の威信」に関わるのではないのか?
そもそも日本政府や御用マスコミは「科学技術立国」を口先では言い続けているが、国立大学法人法化以降、予算は減り続け、国際比較で見た場合の論文数は日本のみ「つるべ落とし」。
政官財のパワーエリートは「科学」と「技術」のことを何も知らず、「ポンチ絵」だけで気勢を上げているのでは、と疑惑が湧く。
科博に戻ると、今回クラウドでなんとかなったのはいいとして、「これ幸い」として地方の博物館も「クラウド」でやれ、という話になるのが懸念される。
ただでさえ、上野の科博と地方の博物館では、予算と展示に雲泥の差がある。
つまり地方の子供にとっては科学に触れる機会がただでさえ少ない。教育格差のさらなる拡大が懸念される所以である。
音楽と読書、映画が好きです。