ただ、この「攻撃の渦中にいる人に第三者が批判したり批判的に言及する」事例に於いて、必ずしも「批判がその攻撃の渦中にいる人にどの様に受け止められるかの責任や努力義務は批判する側が全て負わなければならない」かどうかは、その攻撃の渦中にいる人が、その他にどんな状態や環境に置かれてるか、どの様な立場にいる人なのかに寄って変わっては来ると思う。
ましてやその攻撃の渦中にある人が、自分を攻撃してもいないなんの非もない人を攻撃していたら、その攻撃された人は例え自分を攻撃した人が苛烈な攻撃の渦中に置かれてる人であろうが感情的に怒って糾弾する権利はある。
ただ現実は、権利はあっても実際にそれを行使してその人の怒りがちゃんと伝わるかと言ったら、一つ前のトゥートでも言った様に、苛烈な攻撃の渦中に置かれて冷静さを欠き身を守る事に必死な人に、適切に届く可能性は低いんだよな。その場合は健全な精神状態にある第三者による怒りの代弁とかが必要かもしれない。いくら相手が苛烈な攻撃の渦中にいようが全く関係ない人が攻撃される事が正当化出来る訳ではないし、不当な攻撃を受けた人が相手が攻撃に晒されてる事を理由に怒りを抑えたり穏便な態度で伝えなければならない義理もないから…。(この役目をもっとマジョリティを自認する人がやらなきゃダメだろと思う)