現在進行形で攻撃の渦中にいる人に批判をしたり、批判的に言及する事は、めちゃくちゃ慎重にやらなければいけないと思う。自分もやってしまった事あるのでこれは自戒も含みますが。ましてやその攻撃してる人達には普段から批判的に言及はしてないのに、攻撃を受けてる人にだけ批判的に言及した時、攻撃を受けてる人からしたら「また自分を攻撃しにくる人が来た」と思われてしまうのは当然。特にSNSの様な媒体では、批判そのものだけではなく普段や直近の身の振り方も文脈に含まれるし、それは批判する側に非があるから気を付けるべきだと思う。人を攻撃する人達も、凡ゆる手段、多様な手段を用いて攻撃を通しやすくしたり(これは分かりやすい例を挙げるとシーライオニングとかが該当すると思う。質問するふりをして相手を疲弊させつつ細かな矛盾を突いて、このやり取りを見てる人達に相手の信用を失わせる事が目的だからね)正当化しながら攻撃して来てる事を認識しなきゃダメだと思う。「冷静で健全な精神状態の今の自分」を基準に「別に攻撃的な要素はどこにもないしちゃんと批判を受け取ってくれるだろう」と考えるのは危ない。冷静さを失った人がどう受け取るかを考えないと。
ただ、だからと言ってミスジェンも学歴主義や能力差別に基く暴言もエイジズムに基くマウントも許されないのは確か。
ただ、この「攻撃の渦中にいる人に第三者が批判したり批判的に言及する」事例に於いて、必ずしも「批判がその攻撃の渦中にいる人にどの様に受け止められるかの責任や努力義務は批判する側が全て負わなければならない」かどうかは、その攻撃の渦中にいる人が、その他にどんな状態や環境に置かれてるか、どの様な立場にいる人なのかに寄って変わっては来ると思う。
ましてやその攻撃の渦中にある人が、自分を攻撃してもいないなんの非もない人を攻撃していたら、その攻撃された人は例え自分を攻撃した人が苛烈な攻撃の渦中に置かれてる人であろうが感情的に怒って糾弾する権利はある。
ただ現実は、権利はあっても実際にそれを行使してその人の怒りがちゃんと伝わるかと言ったら、一つ前のトゥートでも言った様に、苛烈な攻撃の渦中に置かれて冷静さを欠き身を守る事に必死な人に、適切に届く可能性は低いんだよな。その場合は健全な精神状態にある第三者による怒りの代弁とかが必要かもしれない。いくら相手が苛烈な攻撃の渦中にいようが全く関係ない人が攻撃される事が正当化出来る訳ではないし、不当な攻撃を受けた人が相手が攻撃に晒されてる事を理由に怒りを抑えたり穏便な態度で伝えなければならない義理もないから…。(この役目をもっとマジョリティを自認する人がやらなきゃダメだろと思う)