何でTwitterから足を洗わないかというと、やっぱりコロナ関連の情報が乏しいのがある。
(お前が単に追い切れてないだけやろ…というのは一旦置いて)
今日も私が一番信頼するinfluenzer先生が色々長文呟いてくれてるんで、頑張って読んでる。
やっぱ週30時間労働&それで十分生活できる社会の実現やな
社会的には新左翼の自滅の中で、権力がデモやストライキ、抗議集会に社会運動を徹底的に貶めて、警察や自衛隊といった暴力装置への疑念をイメージ戦略でうまくごまかしたのと、個人から見たら上手に怒る方法を教えず、抗議を「妥協」「我慢」「和」と「ズルい」「わがまま」「迷惑」の両方で抑え込んできた結果、SNSで怒りが滲み出てるんだとも思う。
現実の和を乱さず安全に言論を駆使出来る空間としてのSNSという話と、和で怒りが否定される歪さ両方の面がある>BT
生活保護が生活を保護しきれてへん!
RT 小林美穂子
「今月のガスと電気代に衝撃を受ける。
生活保護利用の高齢者達は、今月の電気代にショックを受けて、もともと節約して控えていたエアコンを、もう使わないのだと言う。一番寒くなる時なのに。高血圧や持病持ちが多いのに。
軍拡より生活だ!命に関わる。」
https://mobile.twitter.com/xiaolinmeisuizi/status/1617553442742075392
ジーン・シャープ じーん・しゃーぷ 3回目-1
実践可能で安全な方法
軍隊や警察隠れた非服従
時間を遅らせる
見つけられない
情報を抵抗側に
愛好家団体
独裁崩壊後並行政府を作る(成功例 リトアニア、選挙)
民主的な新政府
歌う革命
バルティックチェーン
ソ連の分断工作vs新政府の法律
#100分de名著
じっせんかのうで あんぜんなほうほう
ぐんたいや けいさつ かくれた ひふくじゅう
じかんを おくらせる
みつけられない
じょうほうをていこうがわに
あいこうかだんたい
どくさいほうかいご へいこうせいふ をつくる せいこうれい りとあにあ せんきょ
みんしゅてきな しんせいふ
うたうかくめい
ばるてぃっく ちぇーん
それんの ぶんだんこうさく しんせいふ のほうりつ
これをお前が言うか。なのかもしれないけど、「差別をしない」は人間の知性としては常識であっても(そう思っている)、生理や本能では常識ではないんですよね。ふっと人間は差別をしたくなる。差別をした方が楽なことは多いし、何かわかったような気になる麻薬でもある。
けれどそこを知で押さえ込んでいく、別の考え方に昇華していくのが人間だと思うし、これは戦争の回避とか大きなところに必ず繋がっていくと思う。
人間は差別をする生き物なのですよね。それが前提にあって、それをどうするか。だと思う。
RT @kyoiku_aikoku@twitter.com
映画『教育と愛国』予告編です
どうか2分間 目と耳をかたむけてください
まだまだ全国で順次上映中。ぜひお近くの劇場でご覧下さい
https://mbs.jp/kyoiku-aikoku/
#教育と愛国 #MBS #映画 #予告編
🐦🔗: https://twitter.com/kyoiku_aikoku/status/1546307873918988293
RT @nittaryo@twitter.com
文科省「教員不足だ…」
↓
「やりがいをPRしよう!」
「免許なくても教員にしよう!」
「教員採用試験日程を早期化しよう!」
「退職した教員に戻ってきてもらおう!」
「県外で説明会を開催して魅力を発信しよう!」
私「なぜ『労働環境改善』と『給与UP』という2大対策をずっと無視し続けるんですか?」
労働運動でメンタルヘルスを争点・獲得目標にするのは、日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、知るかぎりイギリスでは普通に出てきますね。日本だと労働運動側ではなく、使用者側にとってのリスクとして捉えられているのか。(それ以外の身体の健康と同様に。)そうではない、権利としてのメンタルヘルス。生政治的なものに回収されないやつ。
去年手術したとき、入院費の連帯保証人の欄は書いてもらえる人がいないと事情を話して書かなくていいってことになったけど、それが死ぬ確率があるような手術だったらそうもいかんのかなと思って、将来が不安になった。
性愛を介する異性同士の組み合わせしか法的な伴侶として認めず、その条件下で配偶者がいないと社会的に困窮する可能性があるという社会がおかしいと思う。
今月の電気代のあまりの高さに驚いた。
自分の生活と政治との関わりに日頃まったく無頓着な人であっても、さすがにこの状況には疑問を抱くのではないかと思いたいのだが、そのような人たちには「政治は上から降ってくるもの」という感覚というか、「お任せ意識」というか、そのようなものが染みついてしまっているのか、ひたすら「この状況にうまく対応(適応、と言ってもよい)するには」ということにばかり目が向いているような気がする。
もちろんメディアがそれに一役も二役も買っているわけで、先日もNHKの朝の番組で、電気代を節約するための「米ぬかカイロ」を紹介しているのをちらりと見かけた。米ぬかカイロ自体は温かそうだし夏も冷感パッドとして使えるようなので、それを紹介することそのものを否定するものではない。ただ、なんだかこう、「どこかから降ってきたこの苦しい状況を、一人一人の工夫で乗り切ろう」的な「目の逸らさせ方」で番組を作っているのだな、と感じずにはいられなかった。
コロナ感染した人でまあそれなりに元気に回復した人でも微妙な不調が〜半年くらい続いているという経験を聞くので、4月からめっちゃ罹患者増えたらこの国半年以上は混乱避けられないと思うのですが、どうすんだろ
「『屋内でもマスク不要』などということになったら、外出時に感染するリスクは格段に高まる。今以上に不要不急の外出は避け、今以上に慎重に行動しなければならない」と考える人はけっこう多いのではないかと考えている。
今までは「お互いに不織布マスクをきちんと着けているのだから、まあ大丈夫だろう」という安心感が、ある程度の行動範囲の拡大や活発化にも繋がっていたと感じているが、そのささやかな安心感さえ奪われるとなると、やはり自分の行動を制限せざるを得なくなる。高齢者や病気療養中の人と日常的に接している人はなおさらそうだろう。
「マスクを外せば以前の日常が戻ってくる」わけがない。マスクを外せば感染者が増えることが明らかなのだから、「マスクを外させたい人」が強調する「経済活動」も結局は今以上に冷え込むのではないかと思う。
幽霊がブラックバイト学生を助けたりド突いたり
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ほろべブラックきぎょう!٩(N Д▽)و
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