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家族が『インディペンデンス・デイ』を観ている(その隙に外出)。懐かしい…アメリカ中心主義のおめでたさは目をつぶって、映画館でひたすら巨大すぎるUFOにびっくりした日を思い出す。
ビル・プルマンが目立つ役をやってるー!と言う驚きもあった(いつも三角関係で負ける男性の役だったから)。
ジェフ・ゴールドブラム絶好調の時期。おかしな研究者の役ばかりだ(笑)。





これから『朝日のような夕日をつれて』@紀伊國屋ホール。
自宅には2014版朝日のチラシが貼ってある。もう10年経ったのか…不思議すぎる…。




『カリートの道』(1993年)を観た。

 「仁義もへったくれもない世界で、怖かったです。」のひと言…。

 いつになったらショーン・ペンが出てくるんだろうと思っていたら最初っから出ていたこいつが…!という衝撃。たしかにこの顔どこかで…と思っていたけれども。。。弁護士の風上にも置けない。
 足を洗ったはずなのに、ズルズルと、恩があるだの、貸しがあるだのと…結局ギャングの泥沼に戻る。やはり、「一度麻薬取引などに手を染めてしまったけれど、人生やり直したい」のであれば、一度でも地元に戻るなんて厳禁で、可能な限り他国に移住するくらいの行動をとらないとダメだと思う。仁義とかいってると命取りになると、気付いてるならさっさと逃げればいいのにーー

 地下鉄~グランド・セントラル駅でのチェイス、めちゃくちゃ怖かった。たぶんカメラワークが上手なんだと思う。一番緊張感走る見せ方してる。エスカレーターだけれど、さすが『アンタッチャブル』っぽくてすごい。



『ツイスターズ』を4DXで観てきた。

 最高の4DX鑑賞で、ただただ笑った。あれは映画鑑賞というよりアトラクション体験。油断すると椅子から落ちそうになる!

 (つながってはいないけれど)『ツイスター』が好きになれなかったのは、科学者のくせに冷静な判断ができず、周囲を振り切って「実験したい」エゴを爆発させていたところ。こんなのは科学者として(人としても)失格だ、と不快だった。なので、今作の方がストーリーもキャラクター設定も良い。むやみやたらと竜巻に接近する若者の、「竜巻をナメていた」がゆえの失敗。それによる代償の大きさとトラウマ。

 えっ、こっちが「まとも」で「いい人」だと思っていたのにーーという構図、単純に、いい。
 そうなんだよね、よくよく考えたら男性ばっかりで、竜巻カウボーイの方は、老若男女いて。
 いずれにせよ賢い女性たちの活躍、爽やか。
 「あっという間に恋に落ちる」展開がなかったのも、とても良い。最後まで「この2人は今後どうなっていくのでしょう、気になりますね」程度だったし。

 それにしても今年はグレン・パウエルの年のようで… なんなの、今の時代はグエン・パウエルとかライアン・ゴズリングとか、ああいう顔が「イケメン」っていうことになっているの??



『運び屋』(2018年)を観た。

 主人公アールが、とても不思議なキャラクター。
 「家族をないがしろにしてきたツケで、家族から見捨てられた老人」というのはクリントイーストウッドが意識的に(?)繰り返し演じてきてはいるけれども、『グラン・トリノ』とちがって、世間体には好人物で、社交的というところが新鮮。
 しかも、麻薬の運び屋になって手に入れた大金を、そこに使っていくのか!…というところ。
 自分の車にはりつくギャングたちが職質かけられてるときに咄嗟に助け船を出す、賢さ&優しさ。
 その世代の白人男性にしては珍しく、黒人やレズビアンへの差別意識は特にない(Nワードを指摘されればすぐに直す)。
 他方で、アンディ・ガルシア(←が登場したからびっくりだった)に招待されて酒池肉林で「心臓の薬をくれ~~」とベッドに倒れ込む、アホっぽい側面もある。演じてて楽しかったろうなと思う。新車かっこいい。

 私だったら「今さら懺悔されても手遅れだ」、と突っぱねるので妻より娘に共感するけれど、まぁそれでも懺悔がないよりはあった方が救われるなぁと思った。裁きを受けたアールの「その後」が、とても穏やかな光景で、ホっとさせてくれて終わる。



『ネブラスカ』(2013年)を観た。

 まずブルース・ダーンの芝居が圧巻。認知症なのかどうか不明で、本心も不明な高齢者の仕草と表情が徹底していて、真にこういうヨイヨイなのではと錯覚させてくれる、匠の技。

 息子は、おそらく横暴な父にイヤな思いをさせられて生きてきただろうに、「数日だけでも夢を見させてやろう」的な気持ちで旅に付き合う、それだけでもとても優しい。
 
 「田舎の親戚づきあい」のイヤなところ、オンパレード。
 会話が成立しない。親戚とはいえ生活環境や知性(?)の差が激しく、意思疎通できず途方に暮れる。親の若い頃を知る機会は、子どもにとっては親を深掘りできる貴重な機会なわけだけれど、「そんな側面、知りたくなかった」ということもあるわけで、そこらへんのビミョーな気持ちも、上手な描写。

 MVPは母。デリカシーなくしゃべり暴露する母への息子の目線、共感する。墓地でのぶっ飛んだ行動は笑った(←他人だから笑ってられる)。一方で、納屋にいる息子たちを見られないように旧友と咄嗟に会話を成立させたり運転したり、賢い判断力の持ち主でもあり、そういうところも息子たちには新鮮だったはず。

 最後に父がもらう帽子は、皮肉でもありつつ、こういう息子と家族に恵まれた彼への賛辞。



『サイドウェイ』(2005年)を観た。

 何故この2人が友情を育めるのかが最後まで分からなかった。
 世間一般の人は、ジャックのような人間に何らかの魅力を感じて共感できるのだろうけれど、私にはただただダメな人にしか見えなかったので、マイルスが彼のために旅行をコーディネートしてあげる姿がどうにもこうにも理解できなかった。マイルスは基本的にいい人だから好ましいけれど、前妻への未練を引きずるところとか小説家デビューすると思われたいというプライドをこじらせてるあたり、ポール・ジアマッティが演じるにはぴったりだった。

 ちょっとやそっとの飲酒運転くらいOKでしょ、アメリカだし、っていう感覚で観ているのだけれど、あんなにも飲んだくれで運転するって、ほんと!?という疑問は「一蹴されるべき愚問」なのだろう。飲酒運転前提の旅行なわけだし。そういうの、アメリカではほんとうにまったく規制ないのだろうか。

 ステファニーが気の毒…ではあるものの、やはり何故ジャックに魅力を感じたのか、何故こんなスピーディーにそういう関係になれるのか共感できず…。
 
 クライマックス(?)、置き忘れた財布を「奪還」しに行き全裸の夫に追いかけられるシーン、滑稽というよりシュールで、真顔になってしまった。



 この声をBGMに生まれ育ったので、身体の一部に組み込まれている。老いる姿を見たくなかったので近年のステージでの様子を聞くのもしんどかった。
 何紙か見てると、つまり世間的には「受験生ブルース」以外は知らないということなのか…それにびっくりする。もっといい曲たくさんあるのに。

 もう、城田じゅんじしかいなくなってしまった。淋しい。

高石ともやさん死去、82歳 フォーク歌手「受験生ブルース」
kyoto-np.co.jp/articles/-/1315



トランプ氏、T・スウィフトさんの支持見せかけ 偽画像投稿
jp.reuters.com/world/us/I25NGL

ひど過ぎる。民主主義の破壊。テイラー・スウィフトの人格を侵している。これを取り締まる法律は、無いの??



ブックオフ・オンラインのサイトに、「日本の戦争」映画特集ページがあったので、どれどれと見て見たら、最初が【蒙古襲来】でほうほうと思った。そういう映画もあるのか。そのうち、白村江の戦いの映画が作られる日が来るだろうか。


ママ友の名前がトレンド入りしているとびっくりして胸が不安でいっぱいになる。
絶賛されていて、安堵したけれど。。。

あまりにも簡単に、テキトーな気持ちで誹謗中傷する大衆とマスメディアが、ほんとうに憎い。


『密輸1970』、あまりにも良くて短期間で2度観た。

 すべてが完ぺき。エンドロールで流れる歌謡曲が一晩中脳内を流れた。サイコーなシスターフッド映画。
 
youtube.com/watch?si=en4baZf7G



駅ビルでアレッポの石鹸がバーゲンセールのカゴに入っていたので、まとめ買い🛒

aleppo.co.jp/




『密輸 1970』を観た。

なんという爽快感!w
感心してしまう。アクション、バイオレンス、だまし合い、サメ、シスターフッド!
欲張りなほどのてんこ盛りのエンターテイメント。
おまけにコテコテの70年代韓国歌謡曲とファッションに、目と耳が楽しい。

 クォン社長(軍曹)と眼帯の手下によるバイオレンスがすさまじく、あの場面だけなんか別の映画かと思った。尋常でないスピードでメッタメタに刺していく(わりにはけっこうみんな生き残っているのが謎だが)、殺陣がすごかった。チュンジャをかくまうところ、「おっ、いい人だったのか」と思ったけれど、カミソリで脳天から切るような人だからやはり許せない。

 最後の海女たちの皆殺し連携プレーは素晴らしくて涙が出る。ウニ!タコ!サメ!
 喫茶店のオップンも、並みの映画だと男たちにいいように使われてそうだけれども、抜群の芝居(?)を武器に一貫してシスターフッドをむんずとつかみ続ける、とてもいい子だった。





『ルックバック』を観た。

 前評判どおり、とてもよかった。
 雨の中を踊るように走るシーンに、号泣。
 音楽もとてもよかった。

 それにしてもルックバックというタイトルは、どうしたってoasisを想起させるし、あの曲とは無関係とは言わせないぞとも思うので、それだけで私には胸がざわつく。大切なようでいて、思い出したくない気持ちもある中高時代のある自分には、あまりにも「奇しくも」なひっかかり。

 藤野と京本の関係は、序盤こそ幸福なものだったけれど、どんどん不健康なものになっていったので、別々の道を歩んだことは正解だった。あんたに、私と離れて大学に進むなんてムリだと叫ぶ藤野の「子離れできない」親みたいなエゴ。寂しいから離れたくない気持ちと、自分に依存しきってると思っていた子が独り立ちすると言い出したことへのイラつき、いつまでも2人で一緒に歩むと思ってる自分の方が実は子どもだったと気づかされた悔しさ。どれも分かるから、痛々しい。




(続き)
 終盤、どうしても分かってもらいたい友人に対して、心を振り絞るように「だって私、寝てたし」とつぶやき、友人は「それって…」と驚愕し「気づけなかった」と謝る。そのやりとりによって、言葉は持っていないけれども、あれは正しくない、あれは私が望んだものではない、と確信したのだと思う。私がついてるから、という友人の手を握って笑顔が戻る姿に、女性にとって何よりもシスターフッドが希望だというメッセージが込められている気がして、泣いた。

 男性の描き方もリアルだった。直接の加害者のアイツはもとより、タラの様子の変化に気づいて心配そうに寄りそう男も、気遣う様子はすごーく優しそうではあるものの、タラに対し「ひどい男だろ」と共感するだけ。「あいつとは幼なじみなんだ」という語りは、むしろ、「幼なじみだから、あいつを非難することはできないんだ」という弁明に聞こえる。おおよそを察しながらも、男を敵にまわすことはできない、ホモソーシャルに浸りきって抜け出ることができない小ささが、めちゃくちゃうなづける男性描写だった。
 性的同意とはなんぞや、という教材に最適な映画。みんな観てほしい。




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