奨学金の返還免除申請をしたのだけど、結果、非該当だった……。障害により、一生涯、その症状が回復する見込みがなく、かつ、労働能力喪失という状況でないと返還免除とは認定されないようで、返還猶予制度があるとはいえ(それも上限があるけど)、これは厳しすぎる……。
上の3つの映画の暴力描写をないがしろにするのはさすがにナンセンスの極みだし、暴力やセックス以外の魅力やテーマが映画に存在したとしてもそれは「暴力や性の描写が特徴」という命題を否定することにはならない。「"ニュー"シネマ」って言うぐらいだからヘイズ・コードとかのからみで時系列的な新規性として暴力描写や性描写を特徴としているのは簡単に読み取れそうなのに、そういうのすらわからず「のちの『ダイ・ハード』の暴力描写の方が露骨」とか素っ頓狂すぎることを言っている。
エルビス・プレスリーは出てきたときに表現が性的に過激だったと言われていたんだけど、「現代のアーティストの表現の方がエルビスに比べて圧倒的に過激」って言って「エルビスの特徴は過激なセックスアピールではない(他の魅力もある、バラードも歌ってるし)」とか言い出すようなもんでしょ。
一時が万事こういう調子でにわか氏の脳内のルールや感想でしかないようなものを飛躍した論理で一般化しようとしてるんだよ。そしてその飛躍を穴埋めするかのように論敵に対する中傷や嘲りを入れるんだ。こういうタイプの人、たまにいるし、一番キライなんだ。キライ過ぎて無駄な長文を書いてしまった。
アメリカン・ニュー・シネマはほとんど通ってなイノで具体的なことは言えないけど、ヘイズ・コードによる規制の時代を抜けてそれまでより自由にいろんな表現が行われるようになりましたというような事は曖昧な知識として持っているので、そんな言うほど性や暴力の表現はなかったとか今と比べたら大した事ないみたいな話されても全然乗れないな。
ダーティ・ハリーが好きなら好きでそのことを熱く語った方が面白いと思うんだけど、それはどうでもいいってなってるところがますますわからない。
北村さんの批評は面白いし勉強になるので読むけど、同時に自分が映画のこういうところが好きなんだよなっていう側面に北村さんが全然興味がなさそうなのもわかっている。『ダーティ・ハリー』評のそっけなさもそういうところかなと理解している。
ニュー・シネマ時代になってむしろ白人男性中心的な傾向が強まった評価になっているというのが一番ほおっってなった部分かな。やっぱり50年代のハリウッド映画って面白いよねと我田引水的感想を持った。
2021年衆院選で石原伸晃を完全落選に追い込んだ吉田議員が代表選に立つ!?これは期待…
【独自】立憲民主党の代表選 立候補に向け吉田晴美衆院議員が意欲 https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1379910
夏なのに白鳥?と思って調べてみたら動物園から貰った白鳥を飛べないように手術して放していたらしい。知らなかったとはいえ「可愛いな〜」と呑気に眺めていて申し訳なくなった
皇居のお濠からシンボル・白鳥が消える? 実は外来種の翼を手術し放鳥…高齢化と動物愛護から見直しも:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/185365
#3goodthings
・本2冊読んだ 『乙女のための源氏物語』の上巻読み終わったので下に移る前にマルレーン・ハウスホーファーの『人殺しは夕方やってきた』読んだ。剣呑なタイトルですが表題作はほのぼの、ただ戦争について描かれた短編は苦しい。良い本でした。
・賞味期限ギリギリの低脂肪乳でカッテージチーズ作れた ツナと茹でブロッコリー混ぜてサラダにした。
・ドリップパックのコーヒーでのアイスコーヒーうまく作れるようになった。
美味しくて飲み過ぎてしまって眠れんのです。
Netflixのドラマ『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』、面白いんだけど、なんていうかちょっと古くないか、ちょうど折り返しの4話まで見たのでここから巻き返してほしいんだけど。特にコ・ミンシの造形、90年代から2000年代初めくらいのハリウッドの女性サイコキラー物みたいで……。彼女の深奥まで描かれるんだろうか。
あと時制をあやふやにしたり登場人物の動揺を表すための演出の意図はわかるんだけど、フラッシュフォワードが多用されすぎてキム・ユンソクの行動が時々拙劣に見えてしまう……でもユンソクの演技は本当に好きだなと思うんですけど。
ニューシネマについてはわたし全然知らんけどさ
あんな映画やこんな映画もある、ニューシネマの定義に入るか入らないかについて議論の余地のある映画がある、だから一般論としてのちゃんとしたニューシネマって定義なんかない、みたいに言ってはるのがもう、批評以前の話という気がする
どんな用語でも、定義に当てはまるかどうか議論の余地のあるものなんて山ほど存在するよ。だから論文ならまず、冒頭で「ここでは〜をAという用語の定義とする」と明示した上で批評に入るわけでしょ。
議論の余地のあるものがいっぱいあるイコール定義がないとか間違ってるとかじゃないんよ。それはもう、学者さんなら誰でもわかってる、踏まえておくべき当たり前の前提なんよ
それがわかってない時点で議論の土俵に上がれてないんよ
『暴力脱獄』について最後のルークのセリフなんだっけと思って調べたら町山智浩が映画秘宝の公式NOTEでポール・ニューマンの追悼の文章書いててそこに「主人公のルークは決して暴力など使わない」って書いてるのね、この人も映画を恣意的に語るから信用できない。ワンハリのブルース・リーのこと「実際あんな人だったらしいですよ」って言ってたの忘れないからな!!!!
『暴力脱獄』ルークの抵抗と迫害はすべて切実な祈りの反転したものと私は解釈していて、クライマックスの教会の場面での神への挑発なんて胸に迫るものがある。
ただほんの少しだけ出てくる女性表象が本当に嫌。囚人たちの労役の最中に近所の農家の娘が囚人たちを挑発するため体のラインも露わな服着て水びたしになりながら洗車して、夜になると囚人たちが思い出してトイレに駆け込む、という特に描かなくてもいいだろなんだそれなエピソード。
ニューシネマというか60年代以降の映画てこういう女性蔑視的な描写が結構あって見ててしんどい、しかし件の人にとってはこういうの女性蔑視や客体化とは違うらしい。あの人冷笑系アンチフェミの自覚がなくて、フェミニズムについて一家言あって自分は理解してると思ってるんですわなぜか。
映画と読書と漫ろ歩きを愛する氷河期世代