まあ、こういうとこだよね。日本の『平和反戦』の問題点は。
『長崎市幸町の複合施設建設地で、長崎原爆投下時に爆心地の南約1・7キロにあって全壊した捕虜収容所の基礎の遺構が2022年に見つかっていたことが市などへの取材で判明した。市は「原爆被害を伝える遺跡とは認められず、保存対象ではない」と判断し、遺構は保存されなかった。病死や被爆死した捕虜も多く、市民による慰霊行事などが催されているが、市は遺構発見を公表しなかった。捕虜の遺族らと交流する市民団体は「市民や遺族を巻き込んで保存・活用を議論すべきだった」と市の判断に疑問を投げかけている。』
長崎原爆で全壊の捕虜収容所 遺構を発見も、保存されず | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240807/k00/00m/040/231000c
“イスラエル招待せず”で各国に波紋も「再考の予定はない」 平和公園では式典リハーサル【長崎市】 |ニュース|KTNテレビ長崎 https://www.ktn.co.jp/news/detail.php?id=20240807009
>また日本を除くG7=主要7カ国の大使が鈴木市長に対し、“招待を見合わせたロシアやベラルーシとイスラエルを同列に並べるべきではない”として、再考を促すレターを連名で出しました。
いやらしい連中だなあ。
丸ごと同列じゃねえか。
長崎の平和式典を米英の大使が欠席することについては両国の外交の一貫性というものから見て「そりゃそうなるわな」としか言いようがないけど、「彼らにとっての平和」が一体どんなものかが露わになったという意味では勉強になって良いのではないか。というか、これは現実として「彼ら」というよりもむしろ「我らにとっての平和」だったりするんだが。大変残念なことに。
と冷笑ぶりつつも長崎市長は応援したいな。こういう「分断」は全然アリだし。色々大変だろうし。
9月末、BS12で「悪の心を読むものたち」やるのを知って、「マジけ?(喜)」となっている。
殺人シーンは、ぼかしが入っていてそんなに残虐という感じはしないのだが、殺人者役の役者さんたちが全員上手すぎて、リアルすぎて(主人公はプロファイラーなので、長時間そいつらと対峙するシーンが多い)たまに吐き気を催すレベルなので、明るいうちからテレビでやっていいものかどうかちょっと躊躇っちゃったりするけど、やるんですね~
やるんだったらしゃーない。もうキム・ナムギルのソン・ハヨンと、チン・ソンギュのクク・ヨンスのコンビネーション、をトコトン堪能したろかな。
ムリだと思いつつノーカットで頼みます…。どうかひとつ。
ちょっと前に「玄関マットで自分に合った枕を作る」というNHKの番組を実家のTVでみて、みんなで何それって笑ってたんだけど、ちょうど枕を変えようとしていた夫が試しにやってみところ、
肩こりが消えて信じられないほどよい!
と言うので私も試しに玄関マットを新しく購入して枕にしてみたら
びっくりするほどスヤスヤ眠れる
……確かに今まで使ってきた数々の枕の中で一番いい。なぜなの……
そんなわけで、私の今の枕は玄関マット+高さ調整バスタオル。夫はタオルケットで高さを調整していた。
https://www.nhk.jp/p/torisetsu-show/ts/J6MX7VP885/howto/190/
ファシズムの再来を危惧する丸山眞男を
加藤尚武(当時、千葉大学文学部教授)という人が「狼少年」呼ばわりしたのが1986年。
バブル経済のなかで、中曽根政権が新自由主義的で復古的な政策を推し進めていた1980年代。
臨教審設置(1984年)、国鉄民営化(1987年)など、「公」を解体する動きが加速するなか、
それを批判するようなまともな「批評」を、加藤のようなアカデミズムのなかにいる人が、内側から壊し、世間の雰囲気に迎合するものに作り替えていく、権力のアシスト的な働きをしていた・・・。
いろんなことが、いろんな場所で、数十年かけて行われてきたのだなぁと、つくづく思います。
(そして、この加藤という人はいま現在も、雑誌などに出つづけているのです)。
【独自】米・英など5か国の駐日大使が長崎平和祈念式典「欠席意向」 長崎市の“イスラエル不招待” を受け
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1344822?display=1
米英仏伊豪ね。虐殺者のお仲間として永久に記憶
真っ白だった砂浜に遺体が散乱した…もう一つの「忘れてはならぬ8月6日」 米軍占領下、沖縄・伊江島の悲劇
https://www.tokyo-np.co.jp/article/345719
映画と読書と漫ろ歩きを愛する氷河期世代